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2014年03月15日

今年度の受験がすべて終わりました。

やっとすべてが終わりました。

それぞれの結果を受けて

皆、先へ進むのですね。


4月から親の仕事の都合で転校する方も含めて

お別れが多いです。

寂しいですが、仕方ありません。


固定された人間関係では淀みます。

常に皆が前に進み流れ続ける、

そしてまた新しい世界を知って

成長して行くことでしょう。


私はこれから算数オリンピックの予選です。

そのことに集中します。

受験が終わってゆっくり、というのがないんです。

これからがまたもうひとつの本番です。




image-20140315194903.png







posted by りんご at 19:49 | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月25日

石のスープ(ストーン・スープ)

寒くなりました。
お鍋がおいしい季節になりました。
めがねを曇らせながら
お鍋をつつく幸せ、
ありがたいです。


ところで、『石のスープ(Stone Soup)』というお話をご存知でしょうか?


私が以前に読んだのはマーシャ・ブラウンが書いた本でした。
あの『三びきのやぎの がらがらどん』のマーシャ・ブラウンです。
子供向けの本でした。
英語だったか日本語だったか・・・。



お話はこうです。

3人の疲れた兵士が、ある村にたどり着く。
村人たちはケチなので食べ物を隠す。
兵士たちは村人に食べ物を分けてくれないかと頼むが誰も与えるものはない。
「それでは、仕方がない」と言い、3人は、鍋を借り石と水をいれてグラグラと煮立てる。
「石のスープ」を作るという兵士に興味をもった村人が鍋のまわりに集まってくる。
「ああ、塩とコショウがあればなあ・・・」と兵士がつぶやくと、
打ち解けてきたある村人が、それらを持ってくる。
「にんじんがあれば・・・」「ジャガイモがあれば・・・」と言うと、
次々と鍋の中身が充実してくる。
最後にはミルクと肉が加わり、村人と一緒に分け合い、大いに盛り上がり、
「こんなおいしいスープが石から出来るなんて信じられない!」と村人は大喜びする。
夜更けまで飲んで踊っての楽しい一夜になる。


私が図書館で借りてきたのは
Troll Associatesというところから
出版されている英語の絵本です。
どちらも同じような内容です。


この話を読み返してみて
以前には気付かなかったことがひつあります。

それは、塾とは「石のスープ」だということです。

「はあ?違うでしょう!」とおっしゃる方も
多いと思います。「あん、どこが?」とか。


私がいつも思うのは勉強を教えてはいるんですが
結局、勉強をするのは生徒自身なので
我々は兵士のように「もうちょっと関係代名詞を勉強したらなあ・・・」
と言ってるだけなんですよね。
「おしいな、もうちょっと古文ができたらなあ・・・」とかです。

その教えている勉強というものも
自分で発見し考えたことでもないのに
偉そうに「速さ×時間は道のりだろっ!!!!!」
って言う部分が多い仕事です。

全く、こちらは石と鍋だけ用意して
残りはみな生徒のがんばりです。
「なんてことだ!
 成績がこんなに上がるなんて!」
「先生、おかげさまで
 数学の点数だいぶん上がりました」
志望校に合格すればもう大騒ぎ・・・。


お母さん、
すべてお宅の息子さん・娘さんが
努力された結果なんですよ!



よく言われることですが
教育とは「本来の能力を引き出す」ことだ
ってことをこの本は教えてくれます。


「指揮者は演奏してないのにどうして偉いの?」
って質問した子がいました。


指揮者自身は確かに音を出していませんが
彼の頭の中にある音楽を表現しようと
オーケストラに指示を出します。
言ってみれば「オーケストラという楽器」を演奏しているんです。


ものを教えるという仕事に携わるものは
生徒に知識を与えるというよりも
生徒が努力できるような環境を与える
ということではないでしょうか。
励ましたり叱ったり注意したりほめたり。


先生は試験を受けないけれど
生徒が身につけたことを試験で発揮する。
先生は完全に裏方です。


フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によりますと
「石のスープはポルトガルに伝わる民話。
そしてそのエピソードから、
協力を集めるための呼び水の比喩にも使われる。」
とあります。


その視点から、えほんうるふさんが
私よりも100倍わかり易く面白いものを書かれています。

こちらです。




一夜を柔らかなベッドで過ごした兵士たちは、
次の朝、村人たち全員に見送られ
村を後にすることになります。

「村のみなさん、ありがとう!」

「こちらこそありがとうございます。
 あなた方はとても大切なことを教えてくださいました!」

兵士たちが手を振っています。
村人たちも手を振っています。

「まったく、石からおいしいスープが出来るなんて、
 今まで聞いたことがあるか?」
と村人たちは互いにささやきあいます。
posted by りんご at 11:49 | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月15日

TBされるより、リンクはってもらうほうがずっとうれしいって彼ならきっと言う

最近、人のブログの話を書いてなかった。

いっとき人のネタばかり取り上げていたこともあったのに。



まず始めに「トラック・バック」を外し

次に「コメント」を外させていただいた。


そして今はなるべく「常識」を外そうとしています。



今日はちょっとだけ書きたくなった。


サチネットのサチさんがいつものように鋭い比喩をしていたからです。


今日の話は『常識外れ』です。


常識を外れることの魅力や面白さについて書いておられます。

>だいたい、
>「常識外れ」な方って、「常識」があることを知っているからこそ
>「外れる」ことも出来るんですよね。
>だから、傍から聞いていても見ていても面白いんです。


これってよく言われることですよね。

そこでサチさんはすかさずこう続けます、

話はちょっと違うかもしれませんが、小さな子供が吉本新喜劇のボケを聞いても笑わないときがありますが、それは常識を知らないからです。常識を知っている大人がそれを見ると、常識外れなボケだからこそ面白いわけでしょう。




すごい!

ヒントが満載だ!

ありがとうございます、サチさん。



そうなんですよね、絶対にそうなんですよね。


これって塾のチラシにあてはめたら


「これ絶対にいいって。

 こんなチラシ今まで見たことないもん。

 絶対に当たるよ!」


っていうチラシが惨敗することって多いですよね。

(っていうか、無視されるっていうことが・・・。)



それって吉本新喜劇を常識のない子供に見せているのかもしれませんよね。

「子供」と言っては失礼ですが「受験」に対して

毎日考えておられるってわけじゃありません。

そうじゃないから人に任されるんですから。


作るほうはプロと言っては語弊がありますかね、

まあ、毎日塾のこと勉強のこと入試のこと考えているので

そういうことの専門家のようなものですよね。


そういった人間が

「これで、どうだ〜〜〜〜〜!」

って出しても

「トホホ・・・」

っていう結果に終わることがあります。


それって自分の考えが悪いんじゃなくて

観客が成熟していないってことなんだと思いました。


もちろん、その成熟してない加減を読みきれなかった

さらに未熟な自分がもちろん悪いんですけどね・・・。


地域によって成熟度合いも違うでしょう。

学習する生き物ですからね、人間は。



じゃあ、子供が喜ぶことってなんだろう?

子供はハプニングが大好きだ。

思わぬところですべって転んだり

舞台から落っこちちゃったり。


あれあれ?

「すべる」とか

「落ちる」なんて

縁起でもないこと言っちゃいました。

別の方法を考えよう。



それじゃ、子供は何かものがもらえたらうれしい。

そうか、無料でなんでも配っちゃえばいいのか!

「え〜〜〜〜〜〜い!」

それでも来ない。



まてよ、どうも最近は無料体験ってはやらない。

「そんなものあたり前」っていう風潮がある。


そうか、そういった風潮を感じたら

はじめて

「こんにちは!

 どちらさまですか?

 りんごと申します。

 お入りください。

 ありがとう!」

ってひとりで言っても

お客さんが笑ってくれるのかな。



大変勉強になりました。


ありがとうございます。

posted by りんご at 14:25 | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月13日

『福袋』

初売りといえば「福袋」が注目されている。


デパートがその値段以上のものを入れて売るからだ。


そんなもののどこがいいのか?


必要じゃないものまで買わされてることになぜ気付かないのか?


「交換」が目的ではないはずだ。


「得すること」が目的ではないはずだ。



もちろん人様の商売の批判をするつもりはない。


それに人の批判もするつもりはない。


好きなものを買えばいいわけで、


経済効果もあるし


デパートとしても売れるからやるわけで


全く文句はございません。


反省。






さて、これは実はれいによって塾の話なんですね。

けっこう楽しみにしていただいてる方もいますので

やっぱり書きたいじゃないですか。


私が昨日から「気付いた」、「気付いた」っていってるのは

「福袋」のことなんです。


塾というものの商売のやり方が

実は「福袋」とおんなじじゃないかって気付いたんです。

塾はなんとか「福袋」を買ってもらおうと

あの手この手を考える。


お客様へは


「うちの福袋はよそに比べていいもの入ってますよ!」


「福袋は中身で勝負!ものが違います!」


「昨年の福袋を買った人の感想です。ヤッター!(ガッツポーズつき)」


「ここで福袋を買ってこんなに幸せになりました!(ピース写真つき)」


「今、うちで福袋を買うと無料で小さな福袋付いてます!」


「友達が福袋を買ったら、紹介してくれた君に商品券をプレゼント!」





塾のほうは売る秘訣として


「結局は福袋を売るには袋自体を高級にする必要がある」


「福袋は大きければ大きいほどお得感がますんだよ」


「袋を少し小さくしてパンパンにして実際より中身を多く見せるべきだ」


「やっぱり口コミだよ。去年いいのが入っていたって言わせないと」


「福袋を一ヶ所で売るには限界がある。売り場を増やそう」


「自分で売ってちゃいけない。売り子を増やせ!」




こんな感じでしょうか?

いくらでも考えればでてきますね。


私が喜んでいるのはそんな言葉遊びじゃありません。

一番大切なのは(先に書きます)


「福袋の中身にはひとつひとつ値段がついていない」


このひとことに尽きます。


合格まで含めて「まとめていくら」っていう値段設定です。


それを月割りにしているにすぎない。



そうじゃないですか?


そうやって計算してますよ。ね?



「囲い込み」なんです。


どんなに差別化しようとしても


結局は「囲い込む」ための手段にすぎない。



そうじゃない例はすごく少ないです。


身近な例はみかみ先生やヒサオ先生の参考書やDVD。


これはオープンな方法ですよね。



だから自分だってそういったものを・・・


それはそうです。それもひとつの方法。


誰でも考えられる。



私が昨日喜んでたことはそんなことではなく


今のパターンを変えないで


新しいことをやるということ。




それは簡単なことです。

福袋の専門店をやめて

中身にひとつひとつ値段をつける、

それだけのことです。



ひとつだけたとえて言いますね。



すごくこわい親父がやってる寿司屋があるじゃないですか。

こちらから注文できない店。

あの寿司屋と同じなんじゃないか。

ネタを指定するな、こっちが決める。

だまって食べろ、旨いに決まってる。

まさに食べさせていただいている。

ひとつひとつの値段もわからない。

何が食べられるのかもわからない。

確かに寿司を食べには来ているけれど。

確かに寿司は食べたんだけど・・・。

帰るときに値段をきいてびっくり。



今の塾ってこれと似た状態だと思いません?


ひとつひとつの商品に値札のない商売をしている。




先生、お宅の塾では


わかってない中3生に小数の割算(余りあり)を理解させるのは


いったいおいくら程かかりますか?


たぶんその料金って


「福袋」の料金に含まれてるから、わかりませんよね?
posted by りんご at 01:04 | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月11日

センス

十代の頃、服を買いに行くと


なんかすごく恥ずかしかった。


自分の服がヨレヨレで


色あせてたりなんかして。


店員さんはなにも言ってないけど


「どうしてそんな服着てるの


 あんたなんかに服なんか売らないわ」


そんなことを言われてる気がしたものだ。


あれはいったいどういう心理なのか?


知ってるひとは知ってるんでしょうね。


もちろん今思えば店員は売り上げをあげようとか


早く仕事終わらないかな〜とか


今度どこへ遊びにいこうか


なんてことを考えているに違いない。


いちいち客を見てどうこう思わないだろう。


ただ単に自意識過剰なだけだった。




ところで、今日は服を選んでいて


自分が選んだものはことごとく却下された。


「え〜、なんでダメ?」って思ったが


自分のセンスなんて信じてないのでいわれることを聞いた。


「裾の長さはどういたしましょうか?」


「あなたがいいと思う長さにしてください。


 私、なんにもわからないので」


かわいくない客か?





塾の運営にしても


ちょっと今までダサすぎたんじゃないかって


5年目にしてやっと気付いた。



やはり気付くということがいちばん大切だ。


気付くとどうすればいいかは考えればわかる。


服の場合は店員に聞く。


自分の好みなどゴミ箱へ捨てる。


不燃ゴミに出せばいい。



じゃあ、塾の場合は?


イケてる塾なら信念とかポリシーっていうものは尊重されるでしょう。


全くイケてない塾はさてどうするか?




それはもうお客さんに聞くしかない。


「教えてくださ〜い」っていっても誰も教えてくれない。


というかタダの「困った人」だ。



お客さんに聞くというのは


今回の私の場合はチラシの反応率だ。


毎回、毎回、目玉をつけて広告に折り込む。


それで一番反応率の良いものに特化する。



間違っても反応のわるいところ


業績の悪いところを強化しよう補強しようと思って


チラシを出すなんてことは絶対にするつもりはない。


崖から飛び降りるようなものだ。


ニーズがないとか誰もそんなこと私に求めてないということだ。 





来週の火曜日にお客さんが教えてくれる。


無視されたらまた別の内容を考える。


もちろん今も別の案を考えてます。




センスというものは自分がもっているものって思いがちだが

案外、まわりの状況にあわせて自分を変えていく

そういう力なんじゃないか。




しかし、私は服装のセンスがない・・・。


では
posted by りんご at 15:48 | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月09日

人間というのはなかなかやるな〜

まあ、その人間というのが自分のことで

大変恐縮なのですが

暗く落ち込んでいや〜なブログを書いた翌日

犬の散歩しててひらめきました。



昨日自分が出題した問題をもう解いてしまった。

いや〜、ヒントだけか。

実際に行動と結果が伴わないと意味ないので。



しかし、これは塾をはじめてからずっと思ってた疑問をも

同時に解決するものでした。

この前からやり始めた誰もやらないバカなことを

「拡張」しました。

結局、どんなことでもアイデアって「拡張」だと思いません?

「応用」っていう言葉がよく使われますけどね。



もう、ちょっと昨日までの弱気はどこへ行ったんでしょう。

これは猫ギターミオ先生のおすすめ教材と

みかみ先生のメルマガと

自塾の特性を融合したものです。



みかみ先生のメルマガをいち早く「換金」しようと思ってます。

「換金」しないとただの塾娯楽ブログになってしまいますよね。

(もう応用された方がいたら追いつきま〜す!)

みかみ先生が「錬金術師」ではなくて

読者が「錬金術師」にならないといけません。

誰もあなたのかわりに「錬金」してはくれません。

「やってあげましょう」っていう人がいたら

向こうはノーリスクで上前はねようとしてますよ。



私がずっと塾にたいして思っていたこと、

それを言っておかないといけませんね。

私は塾って始める前は「すごいところ」だと思ってたんです。

けれどやり方を習ったところが平均的な塾で

それに反発して自塾を作ったんですが

いつのまにかりんご塾も平均的な塾になってしまいました。



だからもう平均的なことはやめるんですよ。

塾でやっているあたり前のことをやめるんです。



困っている塾長様、

これ以上は言えません。

どうせ自分で思いついたことしか実行に移せませんから

私がいってもしかたありませんよ。



なにが「平均的」でなにがそうでないのか。

つまりなにが「常識的」でなにがそうでないのか。



今自分が弱小で戦いを挑むほうなら

「平均的」で「常識的」なものは使い物になるでしょうか?


頭を使って攻め込まなければいけないのに

桶狭間あたりをのんびりと行進しているんじゃないでしょうか?

弱小がのんびりと行進して

大手が信長のように攻め続けていたら

向こうは弱小と戦っている意識すらないでしょうね。



偉そうなこと書きました。


すべて自分への戒めです。


ひとりごとです。



行動の前の儀式です。



ということで


またよろしくお願いいたします。



では。
posted by りんご at 10:50 | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月26日

”田中角栄は味方を増やすよりも敵を減らせと諭す。”

今日は朝からずっとこの言葉の意味を考えています。


楽天ブログの「眠堂戦記」というブログの

『2005.10.23
 戦略思考的学習塾への道〜その六 (2)』


という記事です。


私はこういう話は大好きです。

もしかしたらこれは「詩」なのか?



学習塾の場合、「味方を増やすよりも敵を減らせ」とは

一体、どういうことになるんでしょう。

「味方を増やす」とは塾のファンを増やすとか

協力者を増やすとか、

非常に明るい雰囲気ですね。


一方、「敵を減らす」って言うのはどうでしょう?

敵とは同業者と考えるのが普通でしょう。

近くの敵、遠くの敵、いろいろあります。

けれどそんなに利害関係がはっきりしないなら

知り合いになっとく方が絶対に得ですよね。

ちょっとでも知っておくと敵にはなりづらい。

そして同業者は味方にはなりづらいです。

応援して生徒を送ってくれるわけじゃありませんから。

まれに紹介されることはあるでしょうが

特殊なケースでしょう。

けれど敵対しない方が動きやすい。


ものごとはすべてギブ・アンド・テイクだとするならば

与えてもらったら返さないといけません。

下手に味方が多いと非常に忙しくなります。

義理立てしなければならない人が増えると動きにくい。

遠慮も出てきてしまう。



「自分をいつも動きやすい状態に保て」

っていうことが言いたいのかも知れないって思えてきました。



もうひとつある。

自分が味方だと思っている人が本当に味方なのか、ということだ。

「あなたの味方ですよ」って言う人が本当に味方なのか、ということだ。



それにしてもおもしろい言葉だ。

眠さん、ありがとうございます。



けれどこれで終わってしまったら単なる言葉の遊びにすぎない。

だって私の読者には

「そんなこといってるより

 生徒が増えたらいいだけの話じゃないの?」

っていう方も多いと思う。


つまり、敵も味方も関係ない、要は儲かればいいんじゃないですか

っていう意見だ。

まったくその通りです。

基本は利益を1円でも多く出すことです。

そして継続して事業を営むことです。



敵を減らすという言葉が気になったのにはもうひとつあります。

それはブログです。

この全国に広がる塾関連ブログです。

私は毎日ブログを書くことで味方を増やしているという感覚がありません。

生徒を紹介していただけるわけではないからです。

けれどいろんな方と知り合うことで

今まで未知のものだった他の塾の先生という

私にとっては亡霊のような存在が

しっかりとした人間のイメージに変わったことです。


看板を見ていても今までどんな人が教えているのか想像出来ませんでした。

それが今では相手も自分と同じように悩み

時には落ち込み、絶望し、

また時には飛び上がって喜ぶ人間なんだとわかりました。


勝手にイメージだけで敵対することがなくなり

私にとっては仮想の敵が急速に減っていってます。


だからこの言葉は

私がブログで書くうえで

ぼんやりと感じていたことを

表現している言葉です。


もっとも大切な事は

敵でも味方でもなく

自分自身を知ることです。

誰を頼りにすることもできません。

経営者や自営業者や政治家は

いつもひとりで立ってないといけません。


そしてそれはあんがいサラリーマンでも言えることではないでしょうか。


また書きます。

よろしくお願いいたします。


では。
posted by りんご at 22:38 | Comment(2) | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月19日

あたらしい迷路を思いついてしまった!

マジヤバです。

選挙の手伝い行ってお腹いっぱい

気持ちのいい秋空の下

車を運転していたら

新しい迷路のアイデアが5つくらい降りてきた。

しばらく口を大きく開けたまま運転していた。

前を走る人のバックミラーに

私の大きくあいた口が写っていたが

あまりのすごさに口を閉じる事ができなかった。


早くノートに書きたいので

信号で止まったすきにノートを取り出し

ハンドルの上で書こうとしたら

「ブーーーーーーー!!!!」

っとクラクションが鳴った。

驚いた。

自分だった。

ハンドルの上は危険だ。

急いで本屋の駐車場に停めて

アイデアを書き写した。

どんどん広がる。

「死んではいけない。死んではいけない。」

これを世に問うまでは絶対に死ねない。

だってこれを発表しないのは

子供達にとって大きな損失だ。



さあ、面会謝絶で超速攻で仕事を片付け

ある方にサンプルを送るぞ!


「オーーーーー!」

って体中の細胞が叫んでいる。


では、



また。
posted by りんご at 13:34 | Comment(6) | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月14日

「ブル」

数年前、犬を飼おうってことになった。

犬の本を立ち読みしたり

何軒かペットショップや

大きな店のペットコーナーをまわった。



タウンページを見ているとそう遠くないところに

個人でやっているような所があり

興味を持って妻と出かけた。



看板は出ているが、普通の家で、

玄関の扉を開けると

いっせいに奥の部屋の犬が吠え出し、鳴き出した。

奥の部屋のドアが開くと

犬の大群が襲いかかってくるんじゃないかと一瞬、不安になった。



出てきたのは40歳前後の毛むくじゃらの男性で

商売人というよりは

パパイヤ鈴木みたいだった。



応接間にとおされ

古ぼけた革のソファーに座らされた。

犬の臭いがカーペットから

壁紙、カーテン、壁にかかった「子供の絵」にいたるまで

すべてに染み付いているようだった。

革のソファーで座りなおすたびに

ワンちゃんの臭いがズボンに染み入る気がした。



「パパイヤ」は私たち夫婦が犬が欲しい、

けれど犬に関しては完全な素人であるというのを

すぐさま見抜いた。



パパイヤはいろいろと日本各地で

賞をとっている「ブリーダー」だと言った。

まあ、トップブリーダーのひとりらしい。

壁には賞状みたいなものが飾ってあって

もちろんそれにも愛犬のにおいが染み込んでそうだった。

アホな私は「ブリーダーって何ですか?」と

またアホな質問をして

その講釈が延々と続くのを聞いて

「いかに自分がアホか」納得した。





そのあいだにもどんどんズボンに

ワンちゃんの香りが染み付いていく気がした。



パパイヤは言った、

「やっぱり、ブルでしょ」

「えっ?」とアホな私は聞き返した。

「ブルドッグだよ。」


「ああ、なるほど。

 ブルドッグってあのブルドッグですよね」



確かに「ブルドッグ」を縮めて言うなら

「ブル」でしょうね。

「ドッグ」ならわけわからないですもんね。

そりゃ〜、「ブル」が正しいわ。

「ブル」でOK!

けど、「ブル」って「雄牛」のことでしょ?

まあ、いいっか。



「あのね、お宅ら素人にはわからないだろうが

 極めるとね、ブルにたどりつくんだよ。

 だから、よかったら、はじめからブルにしとけば?」


「いや〜、ブルですか?

 キャバリアとかラブラドールとか・・・」


パパイヤはうっすら笑って言った、

「映画と流行りでねえ、

 素人はすぐ飛びつくけど

 極めればブルだね。

 今、いいのが生まれたんだよ

 この前のチャンピオンの血をひいてるからね」

「はあ〜」

「見てくか?」

と言って立ち上がり

パパイヤは小さいブルちゃんを連れてきた。

「かわいいね」

と言いながら妻を見ると表情が完全に固まっていた。

まあ、じっと見てると

ブルも悪くないような気がしてくるから不思議だ。


相手はプロだし、

それでメシ食べてるし

経験もある人が言うんだから

やっぱりそれらしく見えてくる。

志望校を選ぶときにも

プロがこの学校がいい!ってすすめると

いい気がしてくるし

世間で「あの学校はすごい!」って言われると

そんな気がしてくる。
 


我々はどうもその「ブルちゃん」が

欲しいって思わなかったので帰るタイミングを探していた。

奥様がグラスに麦茶をいれて持ってきてくださった。

私は遠慮なく麦茶をいただいた。

妻はまったく口をつけなかった。

犬の匂いでもするって思ったんだろうか?




立ち上がり帰ることに。

玄関へ行くとまた犬の大群が

思いっきり吠えはじめた。

妻と一緒に

「ありがとうございました」

と礼を言って足早に車に向かった。




自分は「ブル」ばかりすすめていやしないだろうか?

人によっては

ゴールデン・レトリバーや

チャウチャウや

柴がいいって言う意見はしっかりある。



それに子供ならなおさら

外見よりも

捨てられた子犬のほうが

自分を必要としているってことで

どうしても手放さないような気がする。

たとえそれが雑種でも

一晩じっくり名前を考えて

かけがえのないものになるだろう。


そんな子に

「ブルはどう?」ってすすめても

全く無意味だ。
posted by りんご at 14:09 | Comment(10) | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月12日

ピーチ姫を助けることがゲームの目的ではない

『ドラゴン桜』が流行っている。

多分、たくさんの若者が今年は東大を目指すだろう。

もしも東大へ行くことが家庭で義務づけられていたら大変だろうな・・・。

受験というもののゴールは「東大合格」だろうか?



むかし、いとうせいこうさんの小説で

ゲームを一回で全クリしないと死んでしまうっていう小説があった。

『ノーライフキング』でしたね。

3回まで挑戦できるんでしたっけ?




もうはるかむかしに読んだきりで

今の今まで忘れていました。

ラストシーンだけ鮮明に覚えています。




昨日のSachi-netのサチさんのブログで

魅力的な教育・・・目下模索中というのがありました。





スーパーマリオブラザーズだったら、ピーチ姫を助けることがそもそもゲームの目的だった。でも、ゲームをする子供達に果たして本当にそんな意図はあるだろうか。いや、ないでしょう。結果的にピーチ姫を助ければゲームをクリアするだけの話であって、ゲームをする当人達は一つ一つのステージで展開するプレイ自体を楽しんでいるわけです。ピーチ姫には大変申し訳がないが、彼女は付属でしかないんです。




これを子供が勉強をすることにたとえると

わけがわからなくなるし

塾としてもちょっと厳しい部分がある。

つまり子供が勉強をわかることが楽しくて

東大合格はその附属品でしかない?

それはおかしい。

塾としてはやっぱりおかしい。




けれどこれをもし

マリオを塾講師と考えると

別のものが見えてくるような気がする。



ピーチ姫は「東大合格」。

塾講師であるマリオはひとつずつステージをクリアしていく。

そして失敗をくり返し経験を身に付け

見事ピーチ姫を助け出す。



もしもピーチ姫が「東大合格」で

マリオが生徒だとすると

それは「ノーライフキング」のように

失敗できないものになり非常に見ている方もしんどい。



塾講師は毎年受験を体験するが

実際は自分の受験でないところがゲームに似ている。

生徒が東大をあきらめても

別の大学という選択肢がいくらでもある。

それにいくつだって生徒は大学を受けることができる。

東大だけが大学ではない。

受験に関して言うと

中学も高校もある。



しかしほとんどの塾の先生は

生徒に勉強を教えること自体を楽しんでいる。

生徒が理解したときあのひらめいたように

パッと明るくなる表情、

暗記をしていて最後まで間違えずに言えたときの表情、

努力した結果点数が上がった学校のテストの答案を

うれしそうに見せてくるときの表情、

その他、いろいろな喜びがあるから

毎年毎年受験というものをいっしょに戦える。



塾講師にとっての受験は

教えるよろこびや成長する喜びに満ちた

波乱万丈の人生を生きることのできるもので

多少寝なくても

ご飯の時間がなくても

長時間没頭できる

やりがいのあるものになる。





『ドラゴン桜』の影響で

今年は東大を目指す若者が増えると思います。

ほとんどの時間を勉強に費やしているでしょう。

何年もそれだけに賭けてきたんでしょう。

しかしそれは定員が決まっているものなので

合格できない人もたくさん出ます。







けれど悲観する必要はない。

それはせいぜい人生の初めのステージにすぎない。

東大に合格した人は

そのはじめのステージを高得点でクリアしただけだ。

有利ではあるが次のステージをうまくクリアできるという保証はない。





本当のピーチ姫を救い出すには

まだまだ先は長い。
posted by りんご at 18:39 | Comment(2) | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月11日

「成功」というものの入口は非常に混みあっている

私が最も幸運だと思うことは

塾の先生はほとんどが優秀な方だということだ。

働きものだし、まっすぐな方が多い気がする。



それに少なくとも勉強はできる。

若かりし頃は受験というものにある程度勝ってこられた方々だ。



そして得意技を持っておられる方が多い。

優秀な職人である。






ところで私はよく思う

こんなこと言いたくないなって。

「ねえ、その答え、まだ約分できるよ。」

とか、

「文章の最後にはピリオド、忘れないで。」

とか、

「だから時速できいてるんだから、分速のままはまずいでしょ。」

とか、

「その漢字の書き順、なんとかならない?」

とか、

自分がなんかこまかな

末梢的なことに

非常にこだわっている気がして

すご〜く嫌になるときがある。




けれどこれは

今、日本中で先生方が言ってることかもしれない。

正統的なことだ。


「オイ!、来週は中間テストだぞ!

 そのミスが命取りになるぞ!」






「成功」というものの入口は非常に混みあっている。

2日前からの徹夜組みまでいる。

警備員も声をからせて叫んでる。




多くの人にはひとつの入口しか見えていない。

入口はひとつしかないと思ってる。



多くの人がなかなかやってこないエレベーターを待っている。

いちいちすべての階で止まるようで

イライラしてくる。

ランプが点いているのに

2,3回押す人がいる。



やっと来ても定員というのがあって

オーバーするとブザーが鳴る。

どこからともなくため息が聞こえる。




けれど建物というものには

必ず階段があって

通常は重い扉になているが

カギがかかっていることはまずない。



のぼってはいけないなんてどこにも書いていない。

けれどのぼりなさいとも書いてはいない。

ちょっと薄暗くて

不安になる。




気が弱いものだから

警備員に呼び止められるんじゃないかと

ビクビクしてのぼる。




階段を一段ずつのぼる

足音がこだまする

ちょっとしんどいけれど

そんなに時間がかかるものでないことがわかる。





どの階でもエレベーターは大変混みあっている。





そしていつも非常階段はすいているものだ。
posted by りんご at 09:57 | Comment(2) | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月10日

もしも勉強がスーパーマリオブラザーズだったら

私が毎日お邪魔するサイトに


『学習塾講師のブログ通信Sachi-net』というのがあります。


そこで10月9日の投稿ですが


「気をつけて!」のタイミング


という中で


私が非常に感動した一節があります。


英語のテストの穴埋めで

be able to (〜できる)というのを入れる問題があった。

ちょっと考えて be は is にしとこうってなる。

けれど問題文をよくみると本当は was でないとおかしい。

そこでスーパーサチさんはおっしゃいます。



 スーパーマリオブラザーズだったら、亀を踏んづけて遠くに蹴っ飛ばしたらそれで終わりじゃなくて、あいつらは土管にぶつかって凄いスピードで戻ってくるんです。

 ゲームだったら次からはそのことを学習して気をつけるんだけど、英語や数学ではそうはいかない。





名言でしょ?


私が毎日あ〜でもない、こ〜でもない


って考えてることは


まさにここなんです。


ちなみに私は「テレビゲーム万歳!」とかって言ってるんじゃありません。



仕事をしていて

「ここは前に失敗したところだ

 気をつけよ」

って思うんですが

勉強だとそういうことができなかった。



子供がゲームのことなら

注意深く、

失敗からも学べるのに

勉強になるとそうでもない。



たんなる興味がないとか

しょうもないからだけですまない気がします。

 


勉強と言うのはあまりにも現実味がないんじゃないか

あまりにも生活からかけ離れてるんじゃないか


っておもうんです。


「しかたないやん、そういうものや」


では人類の発展はありませんでしたよね。


「昔からそういうもんや、それでやってきたんや」


では時代性を無視していますよね。



「亀を踏んづけて遠くに蹴っ飛ばしたら

 それで終わりじゃなくて、

 あいつらは土管にぶつかって

 凄いスピードで戻ってくるんです。」



具体的じゃないですか!


りんご塾の本質はここにあるっていうような


教材を作りたいと思います。



なんて幸せでしょう。


そんなもの作っても誰も文句を言わない。


しょうもなかったら無視されるだけだ。



今の日本に住み


経済活動をさせていただいてることに


むちゃくちゃ感謝しています。



では。
posted by りんご at 13:58 | Comment(2) | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月08日

優秀な講師

こんにちは



いままで何人か


「この人は凄いわ〜

 僕が教えるよりずっといいわ〜

 それになんでこんなに人気なの?

 ありがとう!」


っていう優秀な講師がうちにもやって来ました。


もちろん私の塾の方式において「優秀」というだけで

他の塾へいけばどうか知りませんよ。

それに他の仕事をさせたらどうかもわかりません。

それにこの場所がピッタリ合っていて

それで力が発揮出来たのかもしれません。



まあ、そんなことは置いておいて



それで、そういう人が塾にいてくれて

塾が変わるかっていわれると

そうとも言い切れない。

もちろんいろいろ提案してくれるんですが

基本は自分の役割を完璧にこなすだけです。

私も安心します。

安心して、終わりです。



「優秀な講師」がもっともその存在を発揮するのが

辞めた後だ。

彼または彼女がいなくなったあとの穴を見て

私はぞっとする。

塾の将来を不安に思う。




そして私はやり方を変えようって思い始める。

今までのやり方がいかにダメだったかを知る。



個人の能力に頼りすぎるやりかたでは

塾っていうのは大きくならないな〜とか

だれがやってもある程度成果が出る方法は?とか

人の魅力ではなく別の魅力で存続できないか?とか

どうしてチェーン店ってこんなにたくさんあるんだろう?とか


それはもういろいろ大切なことを教えてくれる。

優秀な講師というのは

塾にいるときにも役立って

辞めたときにも役立つ

素晴らしい存在です。





けれど進むべき道はひとつ。


「優秀な人がいなくても

 運営できるシステムをつくる」


これだけです。

posted by りんご at 09:48 | Comment(0) | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月06日

ズレ

まんだらけという会社をご存知ですか?


東証マザーズに上場してるんですよね。


すごいですね。


何がすごいかって


マニア向けのマンガ専門古本業が5年も前に上場してるんですからね。


マンガって読むなって言われても読んだりしますよね、子供って。


よくサラリーマンが少年ジャンプを読んでるって昔言われましたね。

今はどうなんでしょうね。




本屋のパズル雑誌のコーナーへ仕事ですから行きますが

いつもおとなりは女性向けのマンガ雑誌です。

アメリカの辞書みたいな厚さのが平積みです。

いつも「姑と若い妻の問題」だったり

「世にも恐ろしい話」だったりします。

それとか、ありえない恋愛ストーリー。


あれってもったいないから買うなって言っても

次から次へと買っていきますよね。

(まあ、買うなとは実際には言わないんですが・・・)



なんかこう、ズレてるんですよね。

何と何がズレてるかっていうと

常識とされるものと現実とか

こうあるべきというものと実際とか

素晴らしいですよっていわれるものと

実際に売れているものが。



株式会社まんだらけの古川益蔵社長は

若い頃は売れない漫画家だったそうです。

もう貧乏の粋を極めたような生活だったそうです。

それがひょんなことから潰れそうな本屋をまかされ

マンガ専門の古本屋にしたそうです。


「皮肉なものですよ。自分の好きなことしかやらない、と決めた瞬間、なんと経営者になっていたんだから。マンガの古本屋という商売があったんじゃない、世の中に、どうしようもないマンガ好きのボクがいて、自分が好きなことを貫いたら、そこに、自分にしかできない商売があったんです。これは新鮮な驚きでした。(『掟破りの成功法則』夏目幸明著)



よくいろんな人にアドバイスされるんです。

もうちょっとこうしたら儲かるんじゃない

みたいなことを。

「やっぱり入り口には

 ベタベタ進学情報を貼るんですよ。

 生徒の写真とか貼ってね。

 それで面談できた母親が

 それ見たりするんですよ

 喜ぶんですよ〜」



みなさんすごく親切なんです。

私のこと、塾のこと考えてくださって

いつも本当に感謝しています。

けど、アドバイスに従う事はあんまりありません。



ズレてるんですよね。

私はどういうわけか塾という仕事をするようになりました。

そして塾という仕事が大好きです。



何がズレているかというと

今自分が提供しているサービスと

本当に求められているサービスが。

私の関心はそこにしかない。



自分のしたいことしかしない ーーーー 本当は誰もが、こう生きたいと願うはずだ。ところが、いつも「現実」を言い訳にして逃げる。(同上)



それで実際は怖いんですよね。



いろんなレベルでの障害があります。



バカ言ってないで


ひとつずつクリアーしないといけませんね。
posted by りんご at 19:08 | Comment(4) | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月05日

傘を借りませんか?

今日は朝からシトシトと雨が降っています。

こういう時の犬の散歩は厄介だ。

傘をさしながらになるからだ。

帰ってきてからも体を洗ってやらないといけない。



突然、家の前に白い車が停まり

紺色のスーツを着た男が2人出てきて

傘もささずに小走りにやって来た。



誰かと思えば銀行の担当者と支店長だった。



「すいません、支店長。

 残高不足ですかね?

 担保とりに来ました?」


と挨拶すると、


「いえいえ違いますよ。」


とニコニコしていた。


少しくらい雨にぬれても上機嫌だ。



挨拶がすむと短刀直入に支店長が言った


「運転資金出しますよ。

 借りてくださいよ。」


びっくりしたー!


どうしてもうちょっと資金があったらいいなって

考えてたことがわかったんだろう?


塾の運転資金には全く困っていないが

今回、教材作成のスタッフを雇おうと思って

ただ今検討中で

それで結局その資金が問題だった。

貯金をあてればすむ話なんですが

それもな〜って感じでした。

今回だけは資金が先にいる

普段ならなんともないが

ちょうど自宅前の教室の入口に屋根をつけ

花壇をつぶして送迎用の駐車スペースをつくり

その工事費が厳しかった。



そんなところに

支店長の「お金借りてよ」だ。


「盗聴してるんじゃないですか?」

っていうとニコニコ否定した。

「イヤイヤイアー」

「ニコニコ否定しないでよ」

っていうと今度はニヤニヤ否定した。




外は雨だ。


新しくつくった駐車スペースに雨が落ちている。



雨の粒が窓ガラスをつたっていく。





銀行は雨が降っているときには傘を貸さないんじゃなかったのか?


この銀行はいつも雨が降りそうになると


傘を貸しにくる。



ある人が言っていた。


「銀行が借りてくださいって言ってきて

 金利が3%以下なら全部借りる。

 たとえば100万のお金を

 一年たって103万以上にできないんなら

 商売なんかやっていても無意味ですよ。

 一年で3%の利益が出せないなら

 経営者なんかやめようよって感じです。」



この言葉を聞いてから

借りてくれって来てるのに借りないと

遅かれ早かれ、先が見えてるなって思うようになりました。



「金利が3%以下なら

 お金を借りない経営者の

 心境が私にはわからない。」

ともおっしゃってました。





支店長には私の考えを

わかりやすく説明した。

これから私が進んでいく方向を。

塾だけではないということを。




「こんなこと言っててもいいんですかね?」

ってきくと

「そんなこと言えないような人は

 商売やっててもダメでしょう。」

って支店長は言った。





昨日のカナダの留学生がやっていたパズルを

支店長もやりたいっていうのでやらせてあげた。

「難しいですな〜」

と笑っていた。

「うち、これ小学校2年生から

 一応やってるんですけどね。」

と言っても笑っていた。




彼は担当者に言った。

「じゃあ、お金用意してあげてよ」

「ハイ、わかりました。」

「ちょっと、待ってよ〜」

と言ったけれど

彼らは傘もささずに

雨の中、小走りに車へ向かった。





傘を貸してあげればよかった。
posted by りんご at 11:31 | Comment(6) | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月04日

いちばん向いている仕事をどうやって見つけるのか?

『なぜ、この人たちは金持ちになったのか』の著者

トマス・J・スタンリー博士によると

お金持ちになるには仕事を選ばないといけないそうだ。

つまり世の中には「金持ちになれる仕事」と

「金持ちになれない仕事」があるそうだ。



塾のブログなのであまり「金持ち」という言葉を使うのは

どうかと思うので「ミリオネア」と呼ばせてもらおう。

この本はアメリカのミリオネアについて書かれたものなのですが

その多くは自営業者で一代で富を築いたとあります。

なんとも勇気の出る本ですが

やはりこういう本は

「もしかしたら俺でも・・・」

という期待を利用して

上手く書かれているとよく言われますね。

ですからそういった部分を差し引いて

私の話もお聞きくだればいいかと思います。




ミリオネアの大半(81%)は、

職業を選んだ理由としてこう答えています。


「私の選んだ仕事は、自分の能力や資質を最大限に活かせるのです」


なるほど。

非常に抽象的ではあります。

では彼らはただ単にラッキーなだけなのか?

答えはノーで

大半のミリオネアは自分に適した職業を見つけるまでに

他のやりがいのない、あまり楽しくない仕事を経験していたそうだ。

(ここでもまた、「それって俺?」って思わせますよね)



私の好きな話は多くあるのですが

中古トラック部品販売業に特化した会社をもつ

リチャード氏の話を今日はしましょう。



リチャード氏は20代の後半の5年間を

大手のトラック製造販売会社で過ごし

食べることには困らない程度の給料をもらっていたが

このまま続けていても到底金持ちにはなれないと思い

あせりを感じていたようです。

かといってどうしたらいいのかもわからなかったのは

多くの人と同じでしょう。

(「それって俺じゃん!」って思います?)




そんなとき興味深い出来事がおこりました。

ある日、リチャード氏は

上司に廃車になったトラックを売ってくるように言われます。

廃品業者に500ドルでトラックを売りました。

まあ、それで、よかった、よかった、ですよね。

そうして2週間ほどしてまた上司に言われます。

同じ廃品業者のところへ行って

中古のエンジンを買ってくるようにと。

廃品業者は2週間前のトラックからエンジンを取り出し

500ドルと別の廃品エンジンをひとつ請求しました。




皆さんわかります?

もう廃品業者は廃品エンジン一個分得していますよね。

さらに2週間前のトラックには

トランスミッション、ギア、タイヤ、

ラジエーター、その他もろもろ付いていて

結局それらをタダで手に入れたことになります。



このことに気づいたリチャードは2週間後に独立して

自分で事業を起こしました。

廃車になったトラックを500ドルで手に入れ

7倍の値段で部品を販売するそうです。




我々の多くは廃車置場をみても

それは単なる「がらくた」です。

それを「宝の山」と見られるかどうかは

我々自身のひらめきによるところが大きいのです。



上司はリチャードよりも長くその仕事をしているであろうに

そういったチャンスに気づかない。

大手のトラック販売業者の課長のほうが

廃品会社の社長より

誰が見ても立派に見える。

片方はスーツを着て

もう片方は油で汚れた作業着だ。

けれど課長は単なるサラリーマンで

作業着のほうはミリオネアだ。




塾で考えるのが私にとっていちばんわかりやすい。

何が廃車のトラックで

その中の何が値打ちのある部品なのか。



もしかしたら「学力低下」とか

「ゆとり教育」というものを

廃車のトラックと見る人もいるでしょう。



「学校の宿題」や「学校の進路指導」を

廃車のトラックと見る人もいるでしょう。



人それぞれ違ったトラックを持ち

それぞれ違った部品を見つけるでしょう。



皆が同じことをしたら「ニッチ」でも何でもありません。

自分の目の前にある「すき間」を探しましょう。

それはきっと「俺?」だって出来るはずです。
posted by りんご at 19:50 | Comment(0) | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月01日

雑感

私はもうずっと、小学生に

ひろく学んでもらえるように

塾の方向を変えています。



「どんぐり倶楽部」の糸山泰造先生が

その教材の中で書かれています。(引用いたします。)


小学校の先生は、誰もが哲学者でなければなりません。
なぜならば子供たちは哲学を学びに学校へやってくるからです。
哲学というのは生き方の学問です。
生きるとは感動することであり、楽しむことです。
ですから子供たちは生き方を学ぶ学校で
感動し楽しむべきなのです。



(引用終わり)


毎日、小学生と接していると

なるほどなって思います。

私は自分は哲学者だとは思いませんが

>子供たちは哲学を学びに学校へやってくる

という部分が非常に新鮮な視点でしたね。



話は全く変わるんですが

最近、ブログを読むのを控えてます。

もちろん読んでますが入れ込まないようにし

のめりこまないようにしようと思ってます。

面白いんですがペースが乱れます。



自分のペースで考えて

更新してやっていきたいと考えています。

読んで書いて考えて塾をしてっていうと

非常にせわしく思います。



いろんなことを思いつくのに

形にするまで考えることができない。

今日も新しいビジョンを得ました。

これは私の塾の教材が進むべきひとつの道です。



もっともっと話が変わるんですが

最近、子供の視点について考えます。

子供の視点とは簡単に言うと

常識にとらわれない、

人の批判を考慮しない

ということだと思うんです。



算数の問題のまえで

死んだようになる子供を

嬉々として飛び上がり

踊りだすような子供にするために

やれる手段はいくらでもある。

ただ人の批判を恐れてしまうし、

常識的につい考えてしまう。




ブログやホームページを読んで

私は常識をすぐに学んでしまう。

人の行動を見ていると揺れてしまう。

私はそんなに強くない。



それに「どんぐり倶楽部」の糸山泰造先生の影響を

まともに受けると自分で考えない人間に

一時的になってしまいそうだ。



外部のすべての影響から距離をおいて

私は毎日哲学を学びにやってくる

子供達から一番影響を受ける人間であろう。



そんなことを今日は考えました。

posted by りんご at 18:01 | Comment(6) | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月29日

地味な作業

今日はかなりかたちが見えてきた。

小学生向けの新しい算数のクラスの準備を

最近やっているが

算数文章題の部分が今日入荷して

使えそうなのでひと安心。


これに計算の部分と

認知力を高める部分と

迷路の部分と

パズルの部分を組み合わせる。


座学には違いないが

かなりのバリエーションが出来上がる。

今日からN先生が文章題の担当だ。

試行錯誤してやってくれることだろう。

期待してま〜す。

斬新な使用方法を編み出してください。

それが「技術」です。

posted by りんご at 18:44 | Comment(5) | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月22日

リクナビ

今日は高校の入試説明会に行ってきました。

とても熱心な高校で、私は好きな高校のひとつです。


それで今日はたまたま遅れてしまいまして

いつもなら絶対に座らない一番後ろの席に座る事になりました。



そうしたらたまたま大手の塾の先生のとなりになりました。

若くて美しくて賢そうな方でした。

手帳を広げて、いろいろ書き込んでおられました。



休憩時間に前から聞きたかった質問をしました。


「すいません、失礼なこと聞くんですが

 先生のような若くてきれいで頭のいい方って

 どういう基準で就職する塾を選ばれたんですか?」


この美人先生は即答でした。


「塾の大きさで選んだんじゃありません。」


おお!さすが。


「じゃあ、何ですか?」


将来性?


それとも塾長の人格?




「リクナビにあった中から選びました。」



そっかー!


リクナビか!


わかりやすい!


迷いがありませんね。



塾の先生はこうでないと。




質問事項に即答



頭のキレが違います。



いつかリクナビで新卒を採用してやる!



posted by りんご at 20:41 | Comment(10) | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

強い者が勝つ?

私はアイ・ラブ・ダーウィンとは言わないが

「強い者が勝つ」じゃないと思う。


確かに1対1で戦う場合

強い者、大きい者の方が有利だ。

短期的、局所的に見れば

競合相手に勝つかどうかというふうに見える。

けれどわれわれは1対1で戦ってるわけじゃない。


長期的、全体的に見れば

われわれが戦っている相手というのは

時代の流れとか社会のニーズやウォンツという環境じゃないだろうか。


となりのビルの大手が相手ではないと思う。

大手も戦っている。

それは零細を潰そうと戦っているんじゃないと思う。

私には大手の気持ちはわからないが

中小零細なんて相手にはしていないと思う。


多分私の塾なんかは隣にあっても見えていないと思う。

認識の外に私はあると思います。

だってすれ違っても目をそらしますからね。

「見て!見て!」って訴えてるのにね。


だから大手のやることに振り回される必要はないと思ってます。

相手は振り回そうと思ってやってるんじゃないですから。



われわれはもっと大きなものを見ないとダメなんじゃないでしょうか?


世の中の人が求めているものとか

社会が要求しているものとか



自分の教室の窓から外を眺めるんじゃなく

別の方法を考えた方がいいかもしれません。




私は今、小学校3年生の女の子が

私の迷路をといた感想文を前にこれを書いてます。



私の場合だったら

自分から小学生の方へ出向いていって

迷路の感想を聞いたほうがいいかもしれない。

それくらいの行動力があってもいいんじゃないか?

反省します。





なんでこんな偉そうなことを書いているのか

自分でもわかりません。

気に障ったらごめんなさい。




またよろしくお願いいたします。

皆さんが読んでくださるので

毎日書くことができます。


それでは、よい週末をお過ごしください。

では。
posted by りんご at 18:03 | Comment(0) | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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