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2005年11月28日

書きたいことはいろいろあるが

書きたいことが山のようにあるが


それを書く時間がない。


歩いていて右足を出し左足を出せば


何か思いつく。


けれどダメだ。




ひとつ忘れないうちに書いておこうと思うことがある。


それは齋藤孝先生のことだ。


『宮沢賢治という身体』という初期の本がある。


私は偉そうなことを書こうとしているが読んでいない。


今度読みたい(ぱらぱらっと・・・)。


それで昔、この題名を見たとき「変なの」って思ったのを覚えている。



それから数年たってNHK「にほんごであそぼ」や


『声に出して読みたい日本語』が出たりして


面白かったけどいまいち本質がつかめなかった。


けれどひとことで言えば「文字というものに音を与えた」ということだ。


音読を強調されていた。


それは脳がどうとかってことより


「言葉は発音されて立体的になる」ということでもある。


そしてその音はメロディーと出会い歌となる。


そして歌は物語と出会うことによって


ミュージカルやオペラになる。



私は昔、多分、20歳のころは今よりバカで


詩を書いていたが言葉を書いていても


言葉の組み合わせにこだわり


「意味なんてどうでもいい」と言って


音だけで「詩だ」とか言ってたときもあった。


若者らしい。全く。


言葉を分解して子音と母音だけになり


そこに「息」という風を送り込むことで


ラフマニノフの『ヴォカリーズ』のようなものや


『コールユーブンゲン』みたいな発声のテキストみたいなものが


「詩」として成立するような気分でいた。



けれどそんな微妙なことは世間では相手にされなくて


母音と子音と息から始まり


それらが意味とリズムをもち


メロディーと物語を展開しはじめると


やっと人は聞く耳を傾ける。


そうすることではじめて忙しい人の


貴重な時間を少しだけお借りすることができる。




今、あふれる塾教材って何十種類も何百種類も

何千種類もあるんだろうけど

「文字」だけってものが多い。

声に出して解く問題って本当に少ない。

(英語のリスニング問題とか言ってるんじゃありません、念のため)


声に出して鑑賞に堪え得る問題ってどれほどあるだろう?


「ジョンは正子にバッグをあげました。」

「父はケンに車を洗わせた。」

「浩二君と弟は同じ金額のものを買いました。
 すると浩二君の残金は弟の残金の2倍より300円多くなりました・・・」


もしかしたら文学とか言葉という豊饒の大地に背をむけ

日当たりの悪いやせた畑で毎年同じ野菜を作っている気分がしてこないだろうか?



私は5、6年ほどこの業界に携わっていますが

もうこのような出涸らしのお茶のような言葉に

うんざりしています。


そして


すごい教材をつくるぞ!って思います。




けどそうするとこんな状態になります。


「無期限激務」

(むきげんげきむ)


後ろから読んでも同じです。




けど、がんばるしかない。


posted by りんご at 15:57 | 迷路とパズル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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