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2014年01月08日

ステージが上がることとゴールが見えること

「ステージが一段上がる」という表現がある。

人脈にしても考え方にしても行動にしても

すべてにおいて以前とは違ってきたときに使う表現だ。


自分のやっていることのレベルが段違いに上がることや

以前やっていたことが古臭く感じられるときがある。

昔の仲間とつるまなくなるときにも

われわれはステージが上がるという表現を使うかもしれない。



この時の「ステージ」とは社会的なヒエラルキーとは無関係なのか?

多少関係があるように思う。

われわれは「庶民」とか「中流」とか「アッパー層」などという表現を使って

社会的な目には見えない階層を言い表そうとする。



目には見えない基準をわれわれは感じるのだろう。

「使っている単語が違う」という表現をするかもしれない。

「見えているものが違う」という表現も耳にしたことがあるだろう。



付き合う人のレベルを変えるというのは

自らのステージを上げるのに非常に有効だ。

考え方のレベルが上がったからステージが上がるのか

ステージが上がったから考え方が変わるのか。

それはどちらもありえることだろう。





何が言いたいのか?





何が言いたいのだろう?





ひとは自分のゴールを見て日々を生きているのだろうか?

何気なく生きているだけではゴールに向かっていることにはならない。

そもそもゴールが何かを知ることは簡単ではないかもしれない。



そしてゴールがなにかということがわからなけばステージが上がるかどうかということはわかないのだろうか?

そんなことはないのかもしれない。

ステージが一段上がることによってゴールが見えるということがあるんじゃないか?

そんなことを考えた一日だった。












posted by りんご at 21:41 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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