つまり何が出来て何ができなかったかについて。
こんなことはあたり前のことなんだけど
誰からも強制されて仕事をやっているわけではないので
こなしているだけだと同じところをグルグルまわっているだけになる。
偉そうに聞こえるかもしれないけど
塾をやってて生徒の成績が上がった!やった!っていうのは
当たり前のことで、そうじゃない場合もあって
そんなときはゴメンナサイって謝りながら別の方法を試してみて
なんとかがんばったりするけど
それはこの仕事をしていたら空気みたいなもので
非常に大切だけれどあたり前のことだ。
ただ同じ仕事を何年かやっていると
仕事の処理能力だけが向上して
知恵なんかもついてきて
「まあ、これはこんなもんでいいかな」とかってなったりして
そこには実験も冒険も遊び心もなくなって
詩人の茨木のり子さんが言ってた「自分の感受性くらい」っていう状態になっちゃって
自分でそういう詩を教えてるのに実際は子供のほうがずっとずっと感性が優れていたりして
名札がなければただの中年というのは避けたくて
だから真夏の正午の垂直に近い日差しの下でも
好奇心にあふれた瞳で家の横の溝をのぞきこんで
赤黒いゴツゴツとした鎧をつけたアメリカザリガニを発見しては
それが大ニュースになったりして
変化ともいえない変化にドキドキして
カキ氷の冷たさにこめかみを押さえて
この世のものとは思えないおいしさだと感じては
このまま一生食べ続けていれたらな〜って思ったりして
そんな子供を見ていると
自分も自己責任で子供っぽく生きようと思う。
子供が遊びながら成長するように
変化を楽しみながら変化する世界に適応しようとして
それにあわせて成長する
そんな生き方も自己責任なら許される。
それは仕事を楽しむことであったり
新しいことに絶えず挑戦することであったり
人に会っては笑って話ができることであったり
ごく普通のことだったりする。
そんなことを考えながら今日はCDをかなりの枚数焼きました。
面白い。
これからもっと面白くしていきたい。
なにも子供であることをやめる必要はない、
ただ生きることを楽しむという一点においては。