「流行ってる曲」っていう人がいて驚いたことがあった。
いやわざわざ「流行ってる曲がいい」と意識的にいう人はいいのだが
ただ流行っているという理由だけで聴いている人がいて驚いたものだ。
音楽というのは主体的に聴くものだと思っていたからだ。
それ以外、考えてもいなかった。
自分が好きな音楽や聴く音楽というものは主体的に決めていた。
このあたり前のことに気づくのにどれくらいかかったことだろう。
そう、多くの人は音楽の趣味すら受身であるってことに。
塾だってそうだ。
流行っているから行く、行かせる。
当時は世の中はおかしいと思ったけどちっともおかしくない。
そんなことに気づくのにいったいどれくらいかかったことだろう。
そんな茫洋とした日常でたまたま趣味のあう人と出会ったときの喜びといったらなかった。
人生はそれでいいんじゃないか。
学生の時に許せなかったことが
40になってはじめて理解できた。
だから学生の時と同じ感覚で生きればいいんだ。
世の中は漠然とつかみどころがなくいろんなことが無関係に交わっていたりする。
しかしそのなかで奇跡的ともいえる出会いがたまにある。
それを大切にする塾をすればいいだけの話だったんだ。
それを共有できる人と生きればいいだけの話だったんだ。
9月20日の連休の空は晴れた。
風がかなり強くてカレンダーがパタパタとゆれる。
賢いか馬鹿かを選択するのが日常なら
あえて馬鹿を選んで愚直に生きよう。
要領悪くてもいいから
自分の感覚を信じて生きよう。
どうしようも動かし難いたった一度きりの人生を
主体的に生きずにどうする?