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2008年02月01日

近代音楽史と学習塾その9

ピアノっていう楽器はドイツ語では「ハンマークラビーア」ですよね?

張られた弦をハンマーで叩いて音を出しています。

モーツァルトやベートーベンがピアノソナタを次々に生み出していったのは

ピアノの発達と呼応しています。

鍵盤の数が増えて(音域が増えて)表現できる幅が増えました。

そしてピアノの語源になっているピアノ&フォルテっていう意味は

小さな音も出せるし大きな音も出せるっていうことです。



モーツァルトの初期のソナタは例えばチェンバロのために書かれています。(極端に言うとです)

チェンバロって弦を鳥の骨(羽根の骨?)で引っかいているんですよね。

だから表現の幅も狭かったんです。



っていうか、天才が音楽を変えたっていうより

楽器、つまりテクノロジーが天才を作った気がしませんか?

楽器の発達が作曲家にインスピレーション以前に

ステージを与えていますよね。

「さあ、これだけのことが出来るようになりました。

 これを使って何をしますか?」みたいな。


天才たちはそれでどんどん名曲を生み出していきました。

ショパンの時代ですらピアノは新しい楽器です。


坂本龍一が東京芸大大学院へ行ったのは

そこにしかシンセサイザーがなかったからって聞いたことありませんか?

YMOっていうのは楽器が作ったんですよね。

テクノポップというジャンルを作ったんですよね。



いままで塾で勉強を教えてきた多くの講師の前に

DVDカメラやYouTubeやその他の機材があるわけです。

好きに使っていいですよって。


映像を撮るためにテレビ局のスタジオに入る必要がない。

そんなシンセサイザーを演奏するために東京芸大へ入るみたいなことをする必要はないんです。


家電量販店に行けば安価で買えてしまうんです。



ショパンがエチュードを書きました。

ベートーベンがピアノソナタを書きました。

さあ、塾講師は何をしますか?





つづく







posted by りんご at 12:14 | Comment(2) | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

近代音楽史と学習塾その8

ああ、そうだ、そうだ、レコードがCDに替わるときに

「あたたかみ」がなくなるとよく言われたものだ。

けれどレコードだって生の演奏に比べたら

全然あたたかみなんかないじゃないかと思ったものだ。

「ノイズがなくなる」みたいなことも言われた。

あのパチパチいう音がいいとか

1回1回レコード盤に針を落とすのがある意味儀式なんだとか。

いま四半世紀経ってみるとそのときの議論が末梢的なことばかりだったことに気付く。

もっとも重要だったのは「デジタル」ってことだったんだ。

デジタルは複製が容易だってことだ。

今だったらCDのコピーなんてタダみたいなコストでできる。

だから今私は塾をやっていて

授業をデジタル化することに迷いがない。

自分が個別にした授業をタダみたいなコストで複製して

同時に何箇所でも見てもらうことが簡単にでき

好きなとき都合のよい時に見てもらうことができる。


「いや、やっぱり人から人に伝えるものなんだよ」っていう人は

レコードが普及してその後CDが普及して

音楽の演奏のライブの価値が変わったと思っているのだろうか?


人から人に伝えるものであることに変わりはない。

全くその価値を低くする要素なんてない。


デジタルというのはそのものに触れる機会を増やしてくれるんだ。

ライブの価値を下げるものでもないし

ましてやライブを否定するものでもない。


CDなんて持ってなくてダウンロードしてiPodで音楽を聴いていても

ライブがなくなったなんて話は聞いたことがない。

むしろ人間の欲求というのは対象を見つけてから発生するものだから

機会が増えることは勉強をもっとしたいという子を増やすことになると思う。




つづく
posted by りんご at 11:35 | Comment(0) | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

近代音楽史と学習塾その7

音楽というものが変わったのは

録音技術が向上したからじゃないだろうか?

音楽が変わったというか、音楽のとらえ方が変わった、

または音楽の扱いが変わったっていうこと。



ウォークマンが発売された時は衝撃的だった。

いまiPodが同じようにスタイルを変えてしまっている。

確実に変えていますよね。

多くの中学生がiPod持ってますから。



1920年にエリック・サティが「家具の音楽」を作曲したけど

今ではまったくごく普通のことだけど

BGMというのを発明したのがサティって言ってもいいんですよね?

(どうせツッコミどころ多いので細かい話はやめてね)

誰が発明しようといいんですが

結局、音楽が家具のようになったのは

録音技術・再生技術が発達したからですよね。


レコードやプレイヤーというものの発達と普及が音楽のありかたを変えてしまいました。(あーあーそうですよ、その前に蓄音機がありますよ。エジソンは天才。)


それと同じようにいま学習塾で起こっている変化というのは

塾が学校の授業の一部を受け持つとかいうくらいの

制度とかしがらみとかプライドとかそういうくだらない話じゃなくて

学習のやり方を根本的に変えるような変化です。


先生が教室の前にいて黒板で授業するという

そして40人の生徒がノートをとったり手を挙げたり

起立・礼・着席をしたり

先生がつかみで昨日見たテレビの話をして笑わせて

それで自然に今日のテーマにもっていくとかいうのじゃなくて


黒板もないし、先生も実際にはいないし

クラスメートみたいな関係の人間もいないし

それでも同じように学習することができる、

そしてそれが学生にはクールだと受け止められる。



いずれほとんどの塾が映像系のものを入れると

どうなってしまうんでしょうね?

いいとか悪いとか、教育者は議論したりするんでしょうね。

(そういえばレコードからCDに替わるとき
 アナログかデジタルかみたいなことをみんなが言ってた。
 音に温かみがないからデジタルは嫌いだ、とか)

けどそんなこと議論しても仕方ない。

どう使うかと、自分は何をするか、しかない気がする。



どうしますか?


ねえ?





つづく

posted by りんご at 02:17 | Comment(0) | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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