Literature was not born the day when a boy crying "wolf, wolf" came running out of the Neanderthal valley with a big gray wolf at his heels:
literature was born on the day when a boy came crying "wolf, wolf" and there was no wolf behind him.
(少年がオオカミに追われているときに「オオカミが来たぞ!」と叫んでも文学は生まれない。文学が生まれるのは、背後にオオカミなんかいないに「オオカミが来たぞ!」と叫んだときだ。)
すごく好きな言葉なのですが
昨日、「3匹のこぶた」のことを書いて思い出したので
今日はこのことについて書きます。
ある偉い方が
「今の状況や将来に危機感を持っているのは大手で
個人塾は危機感もなければ変わろうともしない。」
っておっしゃってて、なるほどな〜って思った。
われわれはわらや木の家で「怖いものなんかないよ」って威張っていても
オオカミがやってきたらイチコロだろう。
大手はレンガの家をせっせと作り
高い塀まで準備しようとしているかもしれない。
「自然の風が一番」とか言ってると
窓からオオカミが入ってくるかもしれない。
「オオカミが来る」「オオカミが来る」って危機感もって
どんどん体質がよくなって
強くて大きくなっていったら
それで実際、状況が変わって
「オオカミなんか本当は来ませんでした、
ただの思い過ごしでした」っていうのでも全然かまわないんじゃないだろうか?
「オオカミが来るぞ!」ってわめき散らして
頑丈なレンガの家を作って
結局オオカミなんか来なかったじゃないか、って
お前はオオカミ少年かって言われても
そこには強い塾が残るんじゃないかな。
かなりこじつけだけど
今日も自分の中で
「オオカミが来る」「オオカミが来る」って
ひとりあせって急いでいます。
まあ、だけど人はそんなこと思わなくていいと思います。
では。