12月いっぱいで全国チェーンの某個別指導塾のバイトをやめたそうだ。
こんな時期に辞めるのはいけないと悩んだそうだが
代わりの方も見つかりご迷惑がかからないということになり
辞めさせていただいたそうだ。(某塾の方、生徒のみなさん勝手してすいませんでした。)
今日うちの塾にやってきて言うには
「塾のバイトに幻滅した」そうだ。
「マンツーマンってチラシで言っておいて
1対3はないだろう」って。
もともと向き不向きもあるけれど
あそこならそうだろうって思う。
まあ、そんな話は軽く流して
私は彼に一方的に私の塾の理想を
さかんにしゃべったりした。
たまに会った甥の前だからか
また大きな目標なんかを口にしたりして
そして最近充実している設備とか見せたり自慢したり
「やっぱね、そういう塾にしようと思うんだよね」(実際は関西弁)
と私はおそらく目をキラキラさせながら話した。
そうすると「塾ってさ〜」っていうような不満はなくなり
みかみ先生の本なんか本棚から見つけては
「お、これ前から読みたかったんだよね」とか言って
元気になってよかった。
子供の頃、お使いに行くと
くねくねとした道の両端の垣根がすごく高く感じられ
屋根がもうすごく高くて
鬼瓦は雲に噛みつきそうで
何もかもが不安で不安でしかたなかった。
妙に店の中が静かで
確か父に「ワサビ」を買って来てくれって言われたんだった。
店のおじさんに「ワサビ下さい」っていうと
いつも見慣れた緑のチューブのじゃなくて
缶に入った粉の練りワサビをくれた。
なんか違うな〜と思いながら家に帰ると
お正月の席は盛り上がっていて
親戚のおじさんたちは赤い顔をしていた。
親戚のおばさんたちは大きな声で笑っていて
父にお釣りと練りワサビの缶を差し出すと
「ワサビと言えば普通、これはないだろう。
子供だと思って。」
っていうようなことを言った。
父は値段がどうこう言っていたわけではないだろう。
いつも使っているチューブ入りのワサビが欲しかったんだと思う。
私の子供の頃って高度成長期の余韻を残していた時期だった。
手作りよりも既製品のほうがちゃんとしてる印象があったときだ。
なんか今と違って土がついてそうなものって
ひどく敬遠されてた気がする。
手作りっていうは今のイメージとは違っていて
お金をかけられないっていうイメージだった。
ひと手間かけなくていい、というのがハレの日にふさわしい気がした。
スプーンをひっくりかえしてふたを開け、粉末を水でとぐと
涙が出てくるおいしいワサビが出来上がる。
いまなら粉末の方が好きなんだけどね。
留学していたとき、もうどうしようもなくて
粉のワサビを水で練って
スーパーで66セントくらいで買ってきたアボガドを切って
ワサビをつけて食べたら本当においしかった。
1ドルくらいの牛乳パックのちいさいようなものに入った「SOFT」って書いてあるけど硬い豆腐を買ってきて
ワサビをつけて食べたことが何度もあるけどおいしかった。
一回だけバスに揺られてニュージャージーの出来たばかりのヤオハンにいったことがあった。
商社の家族がカートにいっぱい買い物してて驚いた。
どれ見ても通常の2倍とか3倍とかするのに
平気で買い物している人を見て驚いた。
日本に帰ってきて本物の豆腐を食べたときは
本当に死ぬかと思うくらいおいしかった。
イカの刺身を食べたときは本当にヤバかった。
まあ、そんなことはいいとして
今日も晩ご飯とか食べる時間がなくて
立ってオムライスみたいなものを食べてたんですが
(まあ、イスがあるから座ればいいんですが)
おかずとご飯がひとつになっててスプーンで食べられるものっていいですよね。
サンドイッチみたいなものですよね。
どんぶりものみたいなものですよね。
そういうの時間短縮というか
めんどくさくなくって大好き。
甥は久しぶりに実家でおいしいものを食べているんだと思う。
(何食べてもおいしいよね。)
どんな仕事だって幻滅したりすることはあるよ。
「看板に偽りあり」だよ。
われわれの思いは時には幻滅を生んだりする。
この社会はそんなに厳密に出来てないし
われわれの感覚はとても相対的なものだ。
塾の仕事なんて結局は子供といっしょにがんばったりするのが
すごく楽しくて、もうすごく楽しくて
そういったことを基本的に毎日やっているだけで
そういったことを今のところ
一生の仕事に選んでるわけなんだよね。
まあ、むちゃくちゃ楽しいよ。
しんどいことも多いけど、
まあ、楽しいね。