人と争わない、ということだ。
昨年はさんざん人と争ったのか?といえば全くそんなことはなく
かなりいろんな方がいろいろ教えてくださり
応援してくださり、親切にしてくださった。
そう思うと、争っても意味ないな〜って思う。
今年も争わずいきたい。
だいたい昨年お会いした「すごい人だな〜」っていう人は
人と争っている人はいなかった。
そういう方々と今年も付き合いたいし
より多くの出会いがあるといいなって思う。
昨年はやっぱり「付き合い悪いな〜」っていう感じだったので
今年はもうちょっと人の和を大切にしたい。
中学の同窓会(小規模&地元のみ)にはじめて参加したのですが
すごく人生というものを感じました。
変わってしまったところ
変わらないところ
変わらざるをえなかったところ
そういうものがよくわかって
鍋物が置かれビールが並んだテーブルを囲むのは
恐ろしいほどのリアリティをもった「物語」だ。
そして自分だってそのひとつで
例外ではなく
多少なりとも生きてきて
嫌なこともあったし、いいこともあった。
選択としてはここで「小説」を書くのかどうか、っていうのがあるけれど
私はパスだ。
私ごときが「小説」を書いても満足するのは自分くらいだ。
それなら人にどう思われようと
割算とか因数分解とか教えてる方がよっぽど人のためになる。
25年前に同級生のラブレターの代筆をした。
「そういうものなら俺に任せろ!」って思ってた。
そして今、彼の息子に方程式を教えたりしている。
「だから、マイナスはプラスに変わるよね?」って言ったりして。
あんなことでよかったのかな?
依頼した本人も、受け取った女の子も
とうの昔にそんなラブレターなんて忘れてしまったろう。
代筆した私だけがその事実を覚えている。
私は今、子供達に数学とか教えているけれど
どういう風に教えたとか、そんなこと忘れてくれたってかまわない。
彼らが私の教えたことなんてあたり前に出来るようになって
もっと大きくなって進学して
大人になって家族なんか持ったりして
25年くらい経って同窓会して
その時に何を思い出すだろう?
私は自分をカッコつけようとしてやったことや
ひとが自分にやったこととかじゃなくて
自分が人のためにやったことを一番に思い出した。
それだけ取り出してみるとなんてことはないことなんだけど
それだけで十分だった。
これからやることはやっぱり人のためにやることだ。
世間から見たらとるに足らないことかも知れないけれど
そういうことのほうが25年くらいたったあと
自分の中に残っていることかもしれない。
もうそれくらい経つと「やってやった」とか
っていう感情なんて消えてしまって
純粋に行為だけが残る。
その意味なんてこともわからなくなる。
今思い出したけど、長い間、趣味っていえるものは
手紙を書くことだったかもしれない。