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2007年01月09日

業績と労働時間はかなり比例する

今年の四月には学習パズルの専門家になるんだと

目標を掲げていたのですが

その目標をたてた時に

何が学習パズルの専門家なのか?ということがわかっていなかった。



7日で冬期講習が終わり、昨日は模試でした。

それで本を久しぶりに読んで得るものが異常に大きかった。

そこに目安があって「知識というのは投入時間で決まる」そうで、

1000人のうちの5位以内に入るには5000時間くらい必要だそうだ。

日本全国レベルで3位以内になるには10000時間は最低必要らしい。

本当にいいことを聞きました。


また計画の立て直しだとは思いますが

こういうことを恥ずかしげもなく書いておいたおかげで

いいことに気付くことが出来た。

本当によかった。



なんとか制約とかしがらみとか用事とかを乗り越えて

もっともっと長時間労働したい。



今塾でもさかんに言っているんですが

「うちのシステムでは学習時間と成績がかなり比例します」

という感じなので

私も業績と労働時間はかなり比例するという考えのもと

2007年をやっていこうと思う。



誰がなんと言おうと

長く働いて結果を出したいと思う。





posted by りんご at 15:23 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月08日

塾は教務の悪さで潰れるんじゃなくて、塾長(経営者)の愚かさで潰れるんじゃないだろうか?その続き

昨日の続きです。、

『塾は教務の悪さで潰れるんじゃなくて、塾長(経営者)の愚かさで潰れるんじゃないだろうか?』

昨日はあれからPCさわれなくて

今アクセスを見たらびっくりした。

けどどこかにリンクされてるわけでもなかったので

今日もがんばって熱意を持って書くことにしたい。





私は駅前の教室に出勤するときは必ずその潰れた塾の前を通ります。

今でもそこは空きテナントです。

斜め前には大手の塾があるのですが

潰れる前年にそこに引っ越してきました。

その塾が引っ越してきたのが原因だって

かつての塾生のお母さんから聞いたけど

そんなことはないと思う。

だって駅の北側にその塾はあるんだけど

以前から駅の南側にずっとあったのだから

引越ししても商圏なんてまったく変わらないし

私なんかにぎやかになっていいじゃないか、って思うくらいだ。



潰れたときに結構な人数がその大手に移ったそうだけど

潰したのはその大手じゃないと思ってる。

(あの時うちにも来てもらいたかったんだけど

 「名前がダサいからパス」だったそうだ。

 けっこう凹んだのを覚えてます・・・。)



私は理由はやっぱり塾長だと思っています。

2年近くたった今でも私はいつも考えています。

(そのチラシもどこかにとってあります。)



だから塾で一番勉強しないといけないのは塾長だと思う。

生徒一人分の授業料くらい毎月払っても安いと思う。

お金かけなくても勉強はできるけど

それで果たして継続的に習慣的に勉強できるか?ってことだと思う。



これって私が自慢してるわけじゃないですよ、

それに誰かを批判してるわけじゃないですよ。

私は今年はたくさん勉強しようと思ってます。

今はまだ自慢できるほども勉強してません。

勉強不足だから今年は勉強します。




大手の批判をするということは

私の感覚では勉強することを放棄しているとなる。

(人それぞれなので怒らないでくださいね)

なんで大手が広告を上手に作れるかといえば

素晴らしい合格実績があるからじゃなくて

広告を専門につくる人を雇って

お金と時間と熱意を注いでいるからだと思う。

「大手がまた、新しいこと言い出した」っていうのは

停滞している自分に対する言い訳だ。

零細塾のほうがどんどん新しく大手には真似できないことをやらないといけないと思う。



それで「大手に真似のできないこと」っていうのは何なのかってことは

勉強していくうちにわかることなんだと思います。

私は昨年11月からそういうふうに思ってるんですが

ひとつはわかったので実践しています。

その時には何人かの塾ブロガー先生にご意見を伺って

すごく助かりました。



私にとってはブログを書くというのも塾をやっていく上でのひとつの手段かもしれません。

ブログを書くことだって大手じゃなかなか難しいことだと思う。

ましてやブロガー先生に会ったりするのは困難です。

(けどそういうアクロバティックな方もおられるんですよね〜、凄い)




とにかく昨年はちょっと外に出てみて

自分の考えの小ささを思い知ったし

勉強不足を痛切に感じたし

よかったと思う。


今年は昨年感じたギャップを埋めるように

今から活動していきたい。

ってもう12月からやってるので

このままどんどんいきたいと思ってます。





で、昼休みが終わるので、


また書きます。



続きを書こうか、どうしようか?




では。









posted by りんご at 12:36 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月07日

塾は教務の悪さで潰れるんじゃなくて、塾長(経営者)の愚かさで潰れるんじゃないだろうか?

前に近所の塾が潰れて、本当にびっくりした。

あれ以来、よくその塾のことを考える。

私が塾を始めた頃はその塾は飛ぶ鳥を落とす勢いだった。(と言っても地方の話です)

毎年一つずつ教室が閉鎖された。



私なんかその塾と思いっきり商圏がかぶっていて

名前を聞くだけで闘志がわいたものだ。

毎年冬休みには「除夜の鐘スペシャル」とかいって

徹夜の講習があり、その費用はうちの月謝と同じだった。

もちろん潰れた理由はそんなところにあったんじゃない。



時々、理由を考える。

なくなるときは中3の人数がうちと同じ数だった。

中1、中2も似たようなものだった。

けれどそのときはうちは高校生もいたし

社会人に外国語を教えていたし

小学生もそこそこいたので

そう考えると厳しかったろう。



よく特化すべきだ、っていうけれど

それって見せ方というかアピールの仕方じゃないのかな。

そこは伝統的に「成績上位者しかとりません」だった。

入塾テストしてお断りしてるのもあった。

一斉タイプの塾のことはよくわからないんだけど

それでよかったときはそれでいいんだろうけど

その仕組みがうまく機能してないのに

それを続けて人数減らして潰れたっていう気がする。



周りには毎年塾ができるし大手なんかも2つ近くにあって

あの方法は通用しなくなっていた。

窓には合格実績が貼られてて

そりゃ、たいしたものだったけど

勝負するところを間違えたし

何も新しいことをしなかったのが決定的だった。



チラシの内容から察するに5年前と同じことをやっていた。

そのうえ最後の年にはチラシがほとんど入らなかった。

もう閉めるつもりだったのだろうか?

いや、閉鎖がわかったのは受験の2週間前だった。



私学の塾向け説明会に来ていたところを見たことはなかったし

最後の年のチラシは大手塾を批判する内容だったのを覚えている。

たしか

私は塾長の○○○で、地元に住んでいて子供も小学校に通っている。

地元の教育レベルが心配で私は自分なりに危惧していて

塾をやってできるだけ地元に貢献したい。

しかし最近、一部の合格実績だけを大きくとりあげ

いかにもそこに入れば全員の成績が上がり

上位校にみんなが合格するような錯覚をおこさせる塾のチラシが多いけど

みなさんご注意下さい。

みたいな内容だった。





えっと、


また書きます。



昼休みは終わり。




では。




posted by りんご at 12:52 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

毎日ブログを書くということがこんなにもチラシの作成とかに役立つとは夢にも思わなかった。

みなさま、ブログを読んで下さってありがとうございます。

なんか最近、アクセスがまた増えてきて

過去ログをすごく読んでいただいているので

本当にうれしく思います。

過去ログを読んでいただけるうれしさって

長く続けてないとわかりませんよね。



この1ヶ月、メルマガも出さず何をしていたかと言いますと

塾を一生懸命やっていました。


全国の公立高校の入試問題を毎日解いているのですが

けっこう感動して「メルマガに書こう〜」とか

思ってるんですよ。



12月の入会が多くて

そのこたちをなんとか入試レベルにまでしてあげないといけないので

時間がかかるんですよね。



今回はお母さんが共感してくださるチラシだった。

今日も無料体験でお母さんが

「チラシを見たんですけどまさにうちの子この状態で」とおっしゃってました。

共感するチラシを1月も書くつもりです。

次回はまた別の層に共感していただきたい。

4月までは小学生と

小6にたくさん入会していただきます。

もう、その予定なのです。

そのためのチラシを今作っています。


4月からは高校生を募集する予定です。




ところで毎日ブログを書いて

人に自分の考えを伝えようとしているんだから

そういうことってチラシやパンフレットの作成に役立ちますよね。




毎日ブログを書くということが

こんなにもチラシの作成とかに役立つとは

夢にも思わなかった。






また明日、書きます。



では。
posted by りんご at 02:15 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月06日

ワサビと塾と食べ物がおいしい件

とある国立大学に入った甥が

12月いっぱいで全国チェーンの某個別指導塾のバイトをやめたそうだ。

こんな時期に辞めるのはいけないと悩んだそうだが

代わりの方も見つかりご迷惑がかからないということになり

辞めさせていただいたそうだ。(某塾の方、生徒のみなさん勝手してすいませんでした。)



今日うちの塾にやってきて言うには

「塾のバイトに幻滅した」そうだ。

「マンツーマンってチラシで言っておいて

 1対3はないだろう」って。

もともと向き不向きもあるけれど

あそこならそうだろうって思う。



まあ、そんな話は軽く流して

私は彼に一方的に私の塾の理想を

さかんにしゃべったりした。

たまに会った甥の前だからか

また大きな目標なんかを口にしたりして

そして最近充実している設備とか見せたり自慢したり

「やっぱね、そういう塾にしようと思うんだよね」(実際は関西弁)

と私はおそらく目をキラキラさせながら話した。



そうすると「塾ってさ〜」っていうような不満はなくなり

みかみ先生の本なんか本棚から見つけては

「お、これ前から読みたかったんだよね」とか言って

元気になってよかった。






子供の頃、お使いに行くと

くねくねとした道の両端の垣根がすごく高く感じられ

屋根がもうすごく高くて

鬼瓦は雲に噛みつきそうで

何もかもが不安で不安でしかたなかった。

妙に店の中が静かで

確か父に「ワサビ」を買って来てくれって言われたんだった。

店のおじさんに「ワサビ下さい」っていうと

いつも見慣れた緑のチューブのじゃなくて

缶に入った粉の練りワサビをくれた。



なんか違うな〜と思いながら家に帰ると

お正月の席は盛り上がっていて

親戚のおじさんたちは赤い顔をしていた。

親戚のおばさんたちは大きな声で笑っていて

父にお釣りと練りワサビの缶を差し出すと

「ワサビと言えば普通、これはないだろう。

 子供だと思って。」

っていうようなことを言った。



父は値段がどうこう言っていたわけではないだろう。

いつも使っているチューブ入りのワサビが欲しかったんだと思う。

私の子供の頃って高度成長期の余韻を残していた時期だった。

手作りよりも既製品のほうがちゃんとしてる印象があったときだ。

なんか今と違って土がついてそうなものって

ひどく敬遠されてた気がする。

手作りっていうは今のイメージとは違っていて

お金をかけられないっていうイメージだった。



ひと手間かけなくていい、というのがハレの日にふさわしい気がした。

スプーンをひっくりかえしてふたを開け、粉末を水でとぐと

涙が出てくるおいしいワサビが出来上がる。

いまなら粉末の方が好きなんだけどね。




留学していたとき、もうどうしようもなくて

粉のワサビを水で練って

スーパーで66セントくらいで買ってきたアボガドを切って

ワサビをつけて食べたら本当においしかった。

1ドルくらいの牛乳パックのちいさいようなものに入った「SOFT」って書いてあるけど硬い豆腐を買ってきて

ワサビをつけて食べたことが何度もあるけどおいしかった。



一回だけバスに揺られてニュージャージーの出来たばかりのヤオハンにいったことがあった。

商社の家族がカートにいっぱい買い物してて驚いた。

どれ見ても通常の2倍とか3倍とかするのに

平気で買い物している人を見て驚いた。



日本に帰ってきて本物の豆腐を食べたときは

本当に死ぬかと思うくらいおいしかった。

イカの刺身を食べたときは本当にヤバかった。




まあ、そんなことはいいとして

今日も晩ご飯とか食べる時間がなくて

立ってオムライスみたいなものを食べてたんですが

(まあ、イスがあるから座ればいいんですが)

おかずとご飯がひとつになっててスプーンで食べられるものっていいですよね。

サンドイッチみたいなものですよね。

どんぶりものみたいなものですよね。

そういうの時間短縮というか

めんどくさくなくって大好き。



甥は久しぶりに実家でおいしいものを食べているんだと思う。

(何食べてもおいしいよね。)



どんな仕事だって幻滅したりすることはあるよ。

「看板に偽りあり」だよ。

われわれの思いは時には幻滅を生んだりする。

この社会はそんなに厳密に出来てないし

われわれの感覚はとても相対的なものだ。



塾の仕事なんて結局は子供といっしょにがんばったりするのが

すごく楽しくて、もうすごく楽しくて

そういったことを基本的に毎日やっているだけで

そういったことを今のところ

一生の仕事に選んでるわけなんだよね。

まあ、むちゃくちゃ楽しいよ。

しんどいことも多いけど、

まあ、楽しいね。














posted by りんご at 00:06 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月04日

世間から見たらとるに足らないことかも知れないけれど

今年、とりあえず心掛けることは

人と争わない、ということだ。

昨年はさんざん人と争ったのか?といえば全くそんなことはなく

かなりいろんな方がいろいろ教えてくださり

応援してくださり、親切にしてくださった。

そう思うと、争っても意味ないな〜って思う。

今年も争わずいきたい。




だいたい昨年お会いした「すごい人だな〜」っていう人は

人と争っている人はいなかった。

そういう方々と今年も付き合いたいし

より多くの出会いがあるといいなって思う。




昨年はやっぱり「付き合い悪いな〜」っていう感じだったので

今年はもうちょっと人の和を大切にしたい。

中学の同窓会(小規模&地元のみ)にはじめて参加したのですが

すごく人生というものを感じました。

変わってしまったところ

変わらないところ

変わらざるをえなかったところ

そういうものがよくわかって

鍋物が置かれビールが並んだテーブルを囲むのは

恐ろしいほどのリアリティをもった「物語」だ。

そして自分だってそのひとつで

例外ではなく

多少なりとも生きてきて

嫌なこともあったし、いいこともあった。

選択としてはここで「小説」を書くのかどうか、っていうのがあるけれど

私はパスだ。




私ごときが「小説」を書いても満足するのは自分くらいだ。

それなら人にどう思われようと

割算とか因数分解とか教えてる方がよっぽど人のためになる。




25年前に同級生のラブレターの代筆をした。

「そういうものなら俺に任せろ!」って思ってた。

そして今、彼の息子に方程式を教えたりしている。

「だから、マイナスはプラスに変わるよね?」って言ったりして。



あんなことでよかったのかな?

依頼した本人も、受け取った女の子も

とうの昔にそんなラブレターなんて忘れてしまったろう。

代筆した私だけがその事実を覚えている。




私は今、子供達に数学とか教えているけれど

どういう風に教えたとか、そんなこと忘れてくれたってかまわない。

彼らが私の教えたことなんてあたり前に出来るようになって

もっと大きくなって進学して

大人になって家族なんか持ったりして

25年くらい経って同窓会して

その時に何を思い出すだろう?



私は自分をカッコつけようとしてやったことや

ひとが自分にやったこととかじゃなくて

自分が人のためにやったことを一番に思い出した。

それだけ取り出してみるとなんてことはないことなんだけど

それだけで十分だった。



これからやることはやっぱり人のためにやることだ。

世間から見たらとるに足らないことかも知れないけれど

そういうことのほうが25年くらいたったあと

自分の中に残っていることかもしれない。

もうそれくらい経つと「やってやった」とか

っていう感情なんて消えてしまって

純粋に行為だけが残る。

その意味なんてこともわからなくなる。






今思い出したけど、長い間、趣味っていえるものは

手紙を書くことだったかもしれない。








posted by りんご at 01:34 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする