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2006年04月18日

机に残った消しゴムのカスと(覆された)宝石のような朝


今、そう、たった今、テレビを見た。


テレビも見ないし(子供といっしょ以外は)

新聞も読まないし(子供がテレビ欄を見ろという以外は)

そういったことに疎いのですが


いまある方から電話があり

「NHKを見ろ!」

と言われた。


「なんで〜」と思っていたら

別の方よりメールが来て

「NHK見てください!」

とあった。


急いでテレビを見た。


宮本パズル教室の宮本哲也氏がしゃべっていた。

生徒が写ってた。

保護者も写ってた。


なによりもよかったのが消しゴムのカスと

教室の狭さときたなさだった。




宮本先生が机に残った消しゴムのカスを掃除していた。

もう、そのシーンだけでよかった。

私はそれだけでわかってしまった。

私も同じように毎日消しカスを掃除している。



あのカスは生徒が問題に取り組んだ証だ。



「あのー、このカスどうしましょ?」


とか


「うわー、こんなにたまった!」


って生徒が言う。



「そのままにして帰ってね〜」と私は言う。




私はそのカスを毎日掃除する。



その時にいろいろなことがわかる。







もう、大丈夫だと思う。




私はけっこう、行くと思う。





あの教室の汚さ、

あの教室の狭さ、

あの教室の暗さ、



すべてみられてよかった。



宮本先生のパズルを見てもしかたない。

あれは先生のパズルだ。



私は自分の迷路とパズルをつくる。


「自分で考えろ」って教えておいて


自分が自分で考えないのは間違っている。



私は自分で考えようと思う。


ずっと自分で考えているけれど


もっとはっきりと考えようと思う。


ああ、今日は何の日だっけ?


「(覆された)宝石のような朝」かもしれない。


それはすべてが新しくなる日だ。


目に見えるものすべての生誕の日だ。


posted by りんご at 22:00 | Comment(0) | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

桜並木と味のなくなったガム

今朝、犬と散歩をした。

桜の並木を通った。

満開だ。

坂口安吾の小説を思い出す。

すべては幻のような気もしてくる。



けれどあと何度この風景を見ることができるだろう?

新しく事を始めるのに不安はあるが

悔いのないように生きたい。



我々の時間は過ぎ去っていくものなのに

時計を見ているとクルクルとまわっているように思える。

朝が来て夜になりまた朝が来る。

繰り返しのような錯覚をおこすけれど

時は過ぎ去っている。



誰に遠慮をする必要もない。

極端に将来にたいして悲観する必要もない。



桜の花はとても現実的じゃないけど

生きていることを確認させてくれる。

「あと50回見られるかな?」

「ビミョーだな〜」

そんなふうに見る者の死をさりげなく示す。



不思議だ。

マツタケがいくら好きでも

毛ガニがいくら好きでも

「あと何回食べられるだろうか?」なんて考えない。



幼い頃、ケーキやメロンをよそからいただくと

目を輝かせて食べたものだ。

そんな私を見て祖父は自分の分をわけてくれた。

「いいの?」ってきくと

「もう十分食べた。長く生きてるから」と言っていた。



今、息子がガムを味がなくなっても噛み続けている。

「もう、出せ」と言ってもきかない。

おそらく息子の過ごしている時間の密度は私より濃い。

私もあんなふうにもう一度ガムを噛み続けてみたい。



味のなくなったガムを噛むように

これから生きてみよう。
posted by りんご at 10:23 | Comment(0) | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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