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2006年01月02日

学習塾いろはブログ「ふ」



「ふ」

「舟に刻みて剣を求む」(いろはかるたじゃないですが・・・)



これはいつも書こうと思っていることだ。

そのうちに書きたい。


ところで、親の頃の学校の評価と

今の評価が違っている場合進路決定がややこしくなる。

なかなか昔、刻んだあとを気にされる方も多い。

そして10年後の評価を言っても

もちろん誰も聞く耳をもたない。





「こ」

「子どもの受験に親が出る」



まあ、これはしかたないですね。

中学受験まではって言われます。

私はよくわかりません。




「え」

「縁の下の力持ち」(そのまま)



これは塾の姿そのままですね。

私はあくまで裏方です。

けど、力持ちでないといけませんね。

がんばろっと。




「て」

「提出物の好きな学校の先生」



なんてことを言うんだ!

提出物は内申点に大きく関係する。

提出物は仕事で納期を守ることの大切さを教えてくれているんだ。




「あ」

「商い三年」(これもかるたじゃない・・・)



うううう・・・

商いは3年やらないと利益が出ないそうですが

3年以上たちましたが、もうちょっとがんばらないと。

石の上に5年でも10年でも!




「さ」

「去るものは追わず、来るものはたまに拒む」



退塾希望者を引き止めたことはない。

辞めたい人を引き止めて教えていく自信がない。


入塾希望者を全部入れたこともない。

・・・面倒を見させていただく自信がありません

と断るしかない場合がたまにある。



おっとしゃべりすぎた。


では。


posted by りんご at 12:32 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

解答用紙は「手紙」





今、小6が最後の模試を受けている。


今更だが「もっと丁寧に書け」と注意した。


こんなこといっても「はあ?」と言われたが


解答用紙は採点する人に出す「手紙」だ。


「私を合格させてください」という手紙だ。


合否を決めるということは究極的には


あなたをコミュニティーに入れるかどうかを


決めるということだ。


すいません、あたり前すぎて。


私はいつもアルバイトをさがす若者に対して思う。


時給がいくらだとか、休憩時間がどうとか、


仕事が楽かどうかとか、


そういった末梢的なことなんかどうにでもなることだ。


仕事ぶりを見せてから交渉すればなんとでもなる。


仕事をするということは同じ時間を共有することだ。


同じ目的のために力を尽くすことだ。


コミュニティーの一員として受け入れるかどうかを試験官は見ている。


それがたとえペイパーテストでも面接でも


中学入試でもアルバイトの面接でも


就職試験の最終面接でも


伝えることはただひとつ、


「私はあなたといっしょにいたい」


これだけだ。


言葉を人に送るということは


ほとんどの場合、ラブレターを書くことと大差ない。


面接官をまえに緊張するのは


告白をするときにドキドキするのと同じだ。


たったひとつ、


自分を受け入れてくれるのかどうかという答えしかないからだ。

posted by りんご at 10:11 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

学習塾いろはブログ「け」


「け」

「芸は身を助く」(そのまま)



調べていて驚いたが

この言葉は自分が落ちぶれたとき

昔習っていた芸が役に立ち、暮らしを助けるという意味らしい。


う〜ん、確かにそうだ。

この「落ちぶれたとき」というのがつらいが

塾を始める前は(始めてからも)落ちぶれていた。

自分ではそうは思わなかったが田んぼの真ん中の塾というのは

どう考えても落ちぶれた証拠にしかならなかったようだ。


その昔、留学コースを勧めたとき母親が

「留学して帰ってきてこんな田舎で英語を教えるようになったら

 留学させがいがないわ〜」って言われ、かなりショックだった。



今は駅前にひとつ教室があるから

「家賃、高いでしょう?」って言われるのがうれしい。(俗物で〜す)

確かにガラス張りの高層ビルで

窓から大阪城を眺めながら仕事をしていたことがあった。

きれいな最新のオフィスで働くことはきこえはいいが

今のほうが5000倍は楽しい。



まあ、今でも落ちぶれているようなものだが

学業も芸術も本当に暮らしを助けると思う。

今まで昔やったことで役に立たなかったものはひとつもない。

勉強にしろ、留学にしろ、音楽にしろ、文学にしろ役立って仕方がない。

そしてそれらすべては誰かにやれっていわれてやったものはひとつもない。

すべてやりたいからやっただけだ。

いやいや、やらせていただいた両親にただ感謝だ。


では。
posted by りんご at 09:39 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月01日

文学のペイパー・・・「引用としての塾」




大学に一応いたんですが

時々ペイパーを書く課題がでた。

ペイパーとはレポートみたいなものだ。

そんなにたいした枚数ではない。

なにかひとつ文学作品を討論しあった後なんかに出た。


中学高校のテストじゃないから

自分が書きたいことを書けばいい。

私は大好きだった。

多くの生徒は「ハードだ」とか「ヘビーだ」とか言ってた。



あの時、多くの生徒は作品に書かれてあることを必死で読み取ろうとしていた。

わかるだろうか?

読書感想文にしても多くの人はそこに書かれていることを読み取ろうとする。

もちろん国語のテストだと「作者の気持ちは・・・」とか

「幸助はそのとき・・・」みたいになってしまう。

それで正解とか不正解とかってなる。



(今、非常に自分のなかでは核心的なことを書いてるつもりなんですが

 かまわず書いてみたい。)


自慢ではないが私はほとんどのペイパーはAだった。

それには理由があって

私は文学作品を読んだかもしれないけれど

作者の言いたいことなど考えたこともなかったし

主人公の気持ちなんて考えたこともなかった。

言い過ぎかもしれないが

それらのことはあまり重要ではなかった。


私にとって文学作品について書くとは

自分が言いたいことを書くということだった。

自分か言いたいことを書くためにたまたまその作品を引用しているだけなのです。

生活のなかで発見とか言いたいことがまずあって

それを伝えるために作品の背景や主人公の行動を引用するわけです。



作者の気持ちはどうかとか

ましてや主人公の気持ちなんて

わかるといえばわかるし

わからないといえばわからない。

それは非常にあやふやな部分だ。


そんなことを考えていると文学作品のなかをグルグルまわっているだけだ。

そんな虚構の中をめぐっても疲れるだけだ。

自分は虚構の外に出てその虚構を語らなければならない。

しかも語ることは虚構の中の出来事をではなく

現実の出来事をだ。



私は国語の勉強について言っているのではない。

私は仕事について話しているのだ。


私は塾をやりたいから塾をしているのではなく

自分のやりたいことをするために塾をしている。

誤解されるかもしれないから言うと

お金儲けの手段として塾を選んでいるのではなく

子どもに勉強を教えるために塾を選んでいる。



私は常に「塾」という「物語」の外に出たいと考えている。

チラシを見て塾を知り入会し勉強をする

成績が徐々にあがり受験を迎える。

志望校にめでたく合格する。

他にもいくつもの「物語」がある。

数え切れない「物語」のバリエーションが存在する。

しかしどんなにバリエーションが増えても

それらは「塾」という枠からはみ出ることはない。


私がやりたいことはその「塾」という「物語」のなかで

他よりも上手くやるということではない。

他よりも強くなるということではない。


単純に子どもに勉強を教えるということのために

「塾」というものをたまたま「引用」しているにすぎない。



もちろんそのような発想ですでに様々な形を試されておられる方も多いと思う。

私などは「塾」としてもかなり後発だし

「引用としての塾」としてもかなり後発だ。

けれどかまわない。

「引用」する部分は同じでも

伝えたいことは同じではないからだ。
posted by りんご at 22:11 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

やまんばは考える・・・



石のからとで寝るか木のからとで寝るか


今日は寒いからと木のからとで寝ると


天井から牛方がするすると降りてきて


湯を沸かし、キリでちいさな穴をあけて


熱湯を流し込む。


やまんばの叫び声が山を震わせる。





「うしかたとやまんば」という絵本を読んだ。


子どもに読み聞かせした。




大きな牛にたくさんの塩サバを積んで


牛方が峠を越えようとしていた。


あとちょっとというところでやまんばに見つかってしまう。


「うしかた〜。サバをくれ〜」


やまんばはバリバリとサバを平らげていく。


何匹も何匹も。


そしてしまいには牛までもバリバリとかみ砕いて食べてしまう。



そんな話を子どもに読み聞かせていると


ブラジルのサンバの名門「マンゲイラ」の黄金時代を築いた


カルトーラを思い出す。


名曲は多いが、有名なのは「人生は風車」


あのギターとフルートが何ともいえない切なさをかもし出す。


我々の夢や希望を人生という風車がバリバリと壊していく。


そう民話のなかのやまんばのよう。


人生はやまんば。


我々のちいさな夢や希望、安らぎをバリバリと食い尽くしていく。



牛方はやまんばから逃れるため必死で走る。


人が忙しいとかって言ってるのは命に別状はない。


けれど何でもバリバリと食べつくしてしまうやんばに追いかけられたら


どんな人でも必死に逃げるだろう。


牛方は地をはうように走って逃げる。




そして池のそばに立つ木に無我夢中でよじ登る。


水面を見ると自分が映っている。


もうおしまいだと思う。


しかしやまんばは水面の牛方に飛びかかる。




危機一髪で逃れた牛方は


一軒の古い民家を見つけ助けを求める。


しかしそここそがやまんばの家であり


疲れたやまんばの寝床である。


足音が聞こえてきた。


戸をぎしぎしいわせながら開ける。


戸口には頭の先から足の先まで濡れそぼった


やまんばが立っている。


心なしかその目に獰猛さは残っていない。


おそらく我が家へ帰った安心感だろう。


そんな恐ろしい生き物にも心安らぐ場所があるのだ。




またしても牛方は天井の梁に登って難を逃れた。


人間というものは恐れを知らない。


牛方は腹が減ったので


やまんばが焼いているもちを盗み食いしたのだ。


餅だけではなく今度は甘酒までも!



どうしてなくなったのかわからないやまんばはあきらめて寝ることにした。


そうして思案する。


石のからとに寝ようか、


それとも木のからとがよかろうか・・・





昔ばなしは教えてくれる。


ピンチになったら高いところへ登れ、と。


だいたいそれは選べない。


目の前に木があったから登ったし


天井にしか隠れるところがなかったから登った。


人生は地面にはいつくばる人に厳しい。


追って来るものを気にしたり


下ばかり見てしまう。


今年は飛躍の年にしたい。


なんでもいいから木に登ろうと思う。


それはきっと今までと違う眺めだ。


物凄い顔のやまんばも見えるけど


水面に映った自分の姿も見つめることができる。


そして遠くの道すじがきっと見えるはずだ。
posted by りんご at 01:50 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

花火のような音が聞こえる・・・



あけましておめでとうございます。



さっきずっと遠くで除夜の鐘がなっていた。


細くてちいさな音だった。


けっこうシミジミした。


武田鉄也さんが「金八先生」の役をもらう前の


大晦日の話を思い出したりしていた。



そうしたら花火の音が聞こえた。


お祭り騒ぎみたいだ。




けれどまだ除夜の鐘が聞こえる。



さあ、新しい年だ。



教材を作り始めよう。


自分が見つけた荒地を耕し


種を蒔いて


収穫しよう。



迷路、しりとり、ことわざ、四字熟語

語呂合わせ・・・


他にもいろいろあるけどこれくらいにしておこう。



昼間、2,4,6,8・・・とひとりで言ってたら


すごく賢そうな文章があたまに浮かんだ。


われわれにとってどれほど2,4,6,8・・・が有益なものか


ちょっと話したら


「お前はアホか」と言われた。


なんか素敵な一年になりそうだ。



本年もよろしくお願いいたします。
posted by りんご at 00:15 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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