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2005年12月13日

外は猛烈な吹雪になりそう




今日は車のタイヤをスタッドレスに替えておいてよかった。


他県の親戚は半分見栄でスタッドレスを買うが


我々は死なないために買う。





だけど今晩はまた迷路の作り直しだ。


何度でもやってやる。


今日も眠くなったら立ってやろう。



灯油はある。


灯油がないとやばい。


posted by りんご at 00:13 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月12日

新しい迷路がパッとしない






試しに「東西南北迷路」を作ってみたが


どんくさい。


パッとしない。


洗練されていない。



はじめだから仕方ないが



そういうことが見えるようになってきた。



果たしてこれが洗練されるのかどうか。


考え続けよう。



では。
posted by りんご at 21:04 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

迷路の方向





スタッフのAさんと今話していたが


どうも「面白いだけの迷路」は面白くない


ということになった。


(注意:パズルはいいと思います。)


迷路を教材として使う場合は


面白いだけではないものを作ろうということになった。


私の中では「パズル」と「迷路」は完全に別物です。


「パズル」と「迷路」の目的は全く違うものです。


私は何度も書いていますが「迷路」に教材としての可能性を見ています。


パズルで歴史教材を作ろうとは思っていません。
(どんなものか想像もつきません)


けれど迷路で歴史の補助教材はつくれます。


バリエーションは非常に少ないのですが考えます。



では。
posted by りんご at 16:47 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログをコミュニケーションの場にするリスク




今日、有名なメルマガを読んでいたら

ブログをコミュニケーションの場にするというリスクを

いつも感じておいたほうがいいとあった。



コメント欄とTBを消したのでかなり距離が取れるようになったが

それでも自分の甘えが出てしまう。



もっともっと距離をおきたい。






ところで今朝も新しい迷路を考えた。

方角がわかってない子がたまにいるので

これを夢中で2,3個やると

方角はしっかり頭に入るような迷路だ。

「東西南北迷路」と便宜的に呼ぼう。



おまけ的な迷路だが

発展させると非常に可能性がある。

どのように発展させるかは全然っわからない。

それを考えるのが仕事になるような位置に自分をもっていこう。

やるべきことはそういうことだ。
posted by りんご at 13:55 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

りんごはそうとうケンカが弱い




朝起きてみてけっこう近くの東の山が白くなっていた。


犬を連れて琵琶湖岸を散歩した。


琵琶湖を越えて西にある比良山地は真っ白だ。


雲の切れ間から神々しく朝の太陽が湖面を照らす。


湖を渡ってくる風は冷たくて


犬も私も散髪したばかりで身震いする。





どうも自分は人に誤解を与えてしまうと思った。


もうちょっと推敲してからメールを送ったり


ブログを更新したりしたい。


文字情報だけでは誤解を招きやすい。


ケンカなんかしても私は勝てない。


なぜならケンカしているヒマがないからだ。



たったひとつだけ答えておこう。


「お賽銭15円がポイント?」っていう軽い質問。


これは問題を作成する上でのテクニカルな問題だ。


世間話のように日常生活を語ることにより


算数が実生活と切っても切れない関係にあることをまず示す。


語呂合わせを使うことによって日本語の特性を知る。


初詣に行ったことのある子ならその情景を思い浮かべることができる。


正月の雑踏


見知らぬおじさんのジャンパーが擦れる音


ちょっと表情が硬く


「よこはいりするなよ」って言いたげだ。


見知らぬおばさんはセーターの上にカーデガンをはおり


ぺっちゃんこの靴をはいて手提げカバンに財布を入れている。


少しきつい化粧。


頭の上を賽銭が飛ぶ。


ああ、あの垂れ下がった縄をガラガラやりたいけどとても行けそうにない。


お父さんははぐれないように弟の手をしっかり捕まえている。


ジャンパーの右ポケットにさっきもらったお賽銭があったんだ。


「十分ご縁がありますようにということで15円。

 わが家ではずっとそうしてるんだよ。」


そう言ってお父さんから渡された。


落としちゃいけない。


これはこれから一年間私を守ってくれる神様に渡さないと。


10円玉と5円玉で15円。


ここから投げて上手く賽銭箱に入るかしら・・・


・・・・・


それは問題とは全く関係がない。


関係がないものがごちゃ混ぜになっているのが生活だ。


良質の問題は実生活に似ていると信じている。


小学校の勉強は生活に必要なことを学ぶものだと思っていますから。




これは単に技術的なお話です。


ほんとうに問題作成上のポイントを教えていただいてありがとうっていう話なだけですから、気に障ったようなら申し訳ございません。

posted by りんご at 11:03 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

世界最初のクロスワード


世界最初のクロスワードパズルは


1913年12月21日付の「ニューヨーク・ワールド」紙の日曜版に掲載された。


編集者のアーサー・ウインが生みの親ということだ。


実はまだ100年たってない。



もっともっと考えよう。


これからいろいろ出てくるはずだ。
posted by りんご at 01:22 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

一番易しい問題が一番難しい問題





一番易しい問題が一番難しい問題になってしまった。


「ローマ字」では一番やさしい導入の問題のレベルが


実は「ひらがな」では一番むつかしいレベルということになる。


「ローマ字」のときでもビルの屋上からロープで下へ下へおりていった気がしたけど

今度はさらに下へおりないといけない。

あれが最低レベルだと思っていたのに!





忘れてはいけないことは


そんな子供でも複雑な物語を理解するし


多彩な感情を持っている。


3,4歳でも私と何もかわらない。


表現できる言葉の数と経験の違いだけのような気がする。




言えることは「全力で作る」ということだ。


なめちゃいけない。


「ひらがなでしょ、まあ、まあ、そんなにがんばらなくてもいいんじゃないですか」じゃない。



すべての力を出し切ることだ。


文字をあやつる大人にとってはバカバカしくてやさしくてあたり前でも


初めて学ぶ子にしてみたら


すごい壁で


真剣勝負かもしれない。



「え〜、うちは自然におぼえましたよ」



自慢話をしているのではない。



自然に覚える子は自然に覚える。



何でもそうだ。



そんな半径10メートル以内の話をしているんじゃない。


出来ることと教えること


教えることと教材をつくること


それらのあいだには距離がある。



椅子の硬い座り心地


机の平らなこと


鉛筆の芯の匂い


白い紙の白さ


消しゴムの消しカス


先生の赤ペンの自由闊達な曲線


足をぶらぶらさせながら


ゆっくりとゆっくりと


鉛筆を動かしていく


紙にこすれる鉛筆の音


誰かが筆箱を床に落とす音が聞こえる


先生が黒板に何か字を書いている


きれいな字だ


美しい文字だとぼんやりと思う。
posted by りんご at 00:53 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

うううう、ひどいものだ





ため息がでる。


新しい教材を考えていますが


「ひらがな」は難しいです。


少し作りましたが、ひどいものです。


ためしに「ローマ字」のはじめの案を見ました。


これもかなりひどかった。


だから考え続ければなんとかなるかもしれない。



「初めてのアルファベット」というものと


「初めての文字」というものは似ているようで


難易度が随分違うことに気付いた。


対象は文字というものをはじめて学ぶ子なんだ・・・


やばいな・・・




諸先輩方、申し訳ありませんでした。


偉そうなことを書きまして。




そうとう厄介です。



「文字」ということから考えはじめないといけないのか・・・



「文字」って便利な発明ですね〜。



これでもし「すごいの」が出来たらすごいな。



壁の高さに驚いてますが



今までも越えてきたじゃないか。



「漢字」からいこっかな〜〜〜。



「漢字」からのほうが自然だもんな〜〜〜〜。



誰が必要とするかとか
誰が買うのかとか
無意味だとか
そんなことは気にしない。
(言いすぎですけど・・・)


「漢字ドリル」や「ひらがなれんしゅうちょう」にすべてのアイデアを詰め込みたい。


「最高級のみみかき」みたいなものだろうか?


「そんなん、別に、なくてもいいじゃん」だろうか?



すべての枠をとりはらい


はじめて字や漢字を学ぶ子が


ウキウキして取り組めるようなものをつくろう。
posted by りんご at 00:27 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月11日

昔から嫌いなもの

近所のお寺で机を並べて

そろばん教室になぜか通っていた。

あのそろばんと言うものは好きになれずに

結局1年くらい通ったけど入門の本を終わらせただけだった。

他の子達はずっと先へ進んでいた。

計算して何がおもしろいのか理解できなかった。



たったひとつ覚えていることは

「探偵やスパイになるための本」を持っていったとき

そろばんの先生が

「おお、おもろそうな本、もってるやんか。

 どれどれ・・・。

 今日はそろばんやめじゃ〜」

と言って陽だまりのなか

畳の上で「水につけても字の消えない筆記用具はなにか?」

みたいな問題をいっしょに考えたことだ。

探偵とか憧れた。

そろばんは嫌いだった。



今は別にそろばんはなんとも思わない。

近くのおばすて山の村に

暗算だけ教えてくれる寺子屋みたいなそろばん教室があるから

子供が気に入ったら行かせてみたい。

川に下りて魚を捕まえてるほうが好きかもしれない。

すごくきれいな川が流れている。

ニジマスもたくさんいる。

冷たくて澄んでいて夏の夜には蛍が舞う。




私は「遊びたい」とか「ヒマだ〜」とかいう言葉が大嫌いだ。

昔から大嫌いだった。

「何してんの?」

「ヒマにしてんの。遊ばない?」

こういう会話がむちゃくちゃ嫌いだった。

「遊び」とか「勉強」とかいう区別が嫌だった。

自分のなかではこういった言葉はずっとなかった。



私がいつも考えていたことは「夢中になれること」だ。

「気持ちの切りかえ」とかいう言葉も嫌いだった。

「勉強が出来る子は気持ちの切り替えが上手い」

とか

「仕事が出来る人は気持ちの切り替えが上手い」

ってたまに聞いたけれど

意味がわからない。

多分私は切り替えとかできない。

やっぱり意味がわからない。

そんな便利な頭の構造になってない。



「勉強が出来る子は遊びと勉強の切り替えが上手い」

とか私には意味不明だ。

塾をやっていると、なんとなく一般に流通している言葉の意味がわかり

保護者が言う「遊び」と「勉強」という区別が出来るようになった。

だから私の塾でやっている迷路やパズルは「遊び」ではないというようにしている。

もしかしたらよそからみれば我々のやっていることはまったくの「遊び」に見える。

けれどやってる本人たちは極めてまじめに真剣にやっている。

だから人には「これは遊びじゃないですからね」という。

つまり我々にとっては「遊び」と「勉強」の区別はないんだけれど

もしかしてそういった区別のある人にしたら

我々のやっていることは「遊び」に見えるかもしれないけれど

多分、あなたの言葉の定義でいう「遊び」ではありませんから、

って言いたいけれど

たびたび言うのも疲れるし

嫌ならやらなければいいだけなので

もう面倒くさくて

「遊び」じゃなくて「勉強」ですって言う、ようにしている。



今日はマクドナルドに行ってきた。

やっぱ天才だね。

レイ・クロクは天才だ。

「ファーストフードが世界を・・・」とか

スーパーサイズミーとかあるらしいけど

なんか私にはよくわからない。


今日はお誕生会だったんです。

マクドナルドで。

たまたまかもしれないけど

今まで私が会ったマクドナルドの社員は

すべてマクドナルドに対する愛が感じられる。

おそらくFCで、こんな日本の地方のたかだか10万都市の

寒い冬の雨が降る中で

駐車場から走ってくる我々を暖かく迎え

帰りには見送ってくれる。



私と制作にかかわるAさんと講師と

解くよりも作るほうに熱中している中3生の男の子達、

それに挑む小学生達

我々みんなは自分達がやっていることに面白さを見出している。


小学生達は挨拶もなしに教室に入り、私の目を盗み歴史マンガを読み

私の漢字プリントをやってしりとりして「今何点?」と聞いて

計算問題やってまたドラえもん読んで

パズルやって、やってる途中に新作迷路の試験だいにさせられて

また計算プリントやってまた歴史まんが読んで

言いたいこと言って笑ったり怒られたりして

「ありがとうございました」と元気に言って帰る。



我々は人目を盗んででもパズルや迷路を楽しむ。

塾でやることが適当かどうかなど知りもしない。



一枚一枚の迷路なり、パズルは

「挑戦状」だ。

たいした挑戦状じゃないときもあるし

究極に難しいものもある。

そしてそれは伝説の問題になり

調子のいいときに「先生、あの問題出して〜」

ということになる。




ブログばかりやって多分、言葉がすこし平均化してきた。

別に我々は一般の人々に理解されようと思って言葉を使ってきたわけではなかった。

我々は我々どうしが意思を疎通させるために言葉を使ってきた。

平均的な言語を使うことに、疲れることもあるが

もう自分の考えることしかやらない。

人の言動から自分を平均化していくことはやめようと思う。



こういうときはモーツァルトを聞こうと思う。

あの天才は完全に自分の世界で音楽を作っている。

モーツァルトをバカにする人にたくさん会ってきた。

あの無駄のなさって水みたいな日本酒のようだ。


私が学ぶべきはジョン・ケージの考え方ではなく

あらゆる夾雑物を排したモーツァルトの音楽だ。


posted by りんご at 21:53 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

遊びではない





私は迷路教材を作っているが


生徒にも親にも遊びではないことを説明する。


ほとんどその必要はないんですが・・・。



面白いことと遊びは同じではない。


あたり前なのですが・・・。


自分の信じる知的な興味を追求したい。


迷路を使うのだから常に知的な迷路にしたい。


けっこう本気でやらないと解けないようなものがいい。


なかなか迷路は難しくするのが大変だ。



けれどこれからも挑戦し続けたい。


では。
posted by りんご at 02:00 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月10日

挑戦者は挑戦を続ける

小6の挑戦者は朝から模試を受けたが


夜またやって来て猛烈なペースで勉強している。


私が考えるべきは生徒の成績、学力。


集中しよう。
posted by りんご at 20:34 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

なんということだ!

今、いたましいニュースが飛び込んできました。


「小6女児、講師に刺され死亡…学習塾で「口論」」


いまは驚きでコメント出来ません。


ご冥福をお祈りするだけです。
posted by りんご at 12:58 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月09日

注文がなくても新しい迷路を作り始めよう


たとえば小説家になりたい人が


注文がこないから小説を書かないなんてことがありえるだろうか?


画家を目指す人が絵を描かないなんてことはまずない。


歌手になりたい人は歌いたい欲求が抑えられずに


ところかまわず歌い始めるだろう。



とりあえず50冊作ると宣言した人間が


今日なにもしないなんてことはありえない。


私は昨日は掛け算について考えた。


そして、平仮名とカタカナについても可能性を見出している。


いままで誰が平仮名の教材に持てる力のすべてを注ごうとしたか?



いたかもしれなし、いないかもしれない。


「平仮名なんか横について書かせれば

 すぐにおぼえるだろう」

こういう反応が大好きだ。


ぼんやり考えたときに


そういった言葉が聞こえてきたら「GO!」だろう。


「そんなことわざわざする必要あるの?」っていうのが大好きだ。


大好きすぎる。


私は自分の過去を振り返ってみて思うのは


だいたいこういった批判をして


しばらくたってからその意味がわかり反省するパターンが多い。


「そんなことわざわざする必要あるの?」


これは私にとって黄金の言葉だ。


人がもし私に対してそう思うなら


そこには大きな可能性がある。




私の友人が今度塾を始める。


誰にしてくれって頼まれたわけではない。


むしろ逆かもしれない。


今のままでいいじゃん、別に無理することないって


って言われたことだろう。


けれど彼はどうしても塾を、「自分の塾を作りたい」 ○


「生徒はまだいないけれど作りたい」 ○


「時間が出来たら小説を書こう」 ×


「時間が出来たら絵を描こう」 ×


「時間が出来たら歌を歌おう」 ×



時間がない、成功の可能性もわからない見当がつかない


自分のやっていることに意味があるのか?


そんなことを言っていたらいつまでたっても何も出来ない。



彼はいてもたってもいられずに


生徒がいないけれど新しい塾を作ります。


私も彼に負けないように


注文がなくても新しい迷路を作り始めよう。


posted by りんご at 22:06 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小学生が難しい算数パズルをやっている・・・



こんなことは珍しい話でもないんですが


小1の子達が足し算をやったあと


普通の計算問題では面白くないので


箱型のたてよこ足し算にしています。


カックロの基本形ですね。


たてにも横にも答えを合わせないといけないので


頭の中で何度も何度も数を分解して結合しています。


そして正しい組み合わせを探し出している。


「難しい!」といって苦しんでいる。


このまま進んでいけばカックロをスイスイ解くような小学生になるのだろうか?


それはわからない。




でも、来年こそ算数オリンピックに挑戦したい。


宣言しないとすぐさぼってしまう。



では。
posted by りんご at 19:06 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「掛け算」を発明したのはどの文明なんだろう?


よく「0」(ゼロ)を発明したのはインド人って言いますが


じゃあ、「掛け算」を発明したのはどの文明なんだろう?


「掛け算」ってすごいですよね。


パッて数えられてしまいますよね。


子供に算数教えてると


足し算や引き算の感覚は日常生活から自然と身につくけど


掛け算の感覚ってどういう風に身につけるんでしょうね?


足し算の凄いヤツが掛け算なんだけど


そんな意識は日常ではない。



今でもはっきりと覚えている。


小学校2年生の授業参観の日。


先生はオーバーヘッドプロジェクターを使って


一番いい服を着てきて化粧もして


「掛け算」のはじめの授業だった。


「仲良しのさくらんぼが8組あります。

 どうやって数えたらいいでしょう?」


教室の後ろには母親が立って見ている。


私はだいたい何にでも答える。

おうおう、これは掛け算の授業なんだな。

ここで先生は「掛け算」を紹介したいんだな。

いままで授業で掛け算は習ったことがないぞ。

ということは掛け算を使うって言ったらまずい


「はい、2ずつ足していきます。」

「うーん、それもいいんですが・・・」

他の生徒が緊張して答える

「先生、掛け算を使います。」

「今、いいことを言われましたね。

 そう、今日は掛け算について勉強したいと思います。

 りんごさんのいったことについては今日は横に置いておきます。」

と言われて30年が経った。

30年間、置きっぱなしだった。


う〜ん、そんなのありかよって思いました。

あの授業を今でも覚えているは多分私だけだろう。

カーテンを閉め明かりを消した教室のことを覚えているのは

きっと私しかいない。

足し算はだめで掛け算のほうが良いって言われたことを

覚えているのは私だけだろう。




これから私が挑戦することは

掛け算

面白くて

奥が深いもの

シンプルで

鉛筆と消しゴムで

笑ったり困ったり考え込んだりするもの。


さあ、掛け算の迷路をつくりはじめよう。
posted by りんご at 15:38 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私が一生忘れないこと



携帯電話が普及する前、


経済学者なのか評論家は


「もう日本人は必要なものは全部持ってますから、

 欲しいものがないんですよ。お金使いません。」

って言うのを何回も何回も聞いた。

彼らなりの不景気の理由だった。


私はこういうことは一生忘れないタイプだ。


バブルの頃にボジョレーヌーボーが流行ったのも忘れない。


今回、原油高がデフレを終わらせたっていうことも忘れない。



常に常に予測は裏切られる。



私が絶対に忘れないのはテレビの解説者が


あのバブル景気の真っ最中にたびたび


「景気がいい、景気がいいって言いますが

 うーん、どうなんでしょうね?感じますか?」


とか、


「貿易黒字がこんなにありますが

 庶民の生活はまだまだ楽になったとはいえません」


とかいうことは一生忘れない。



どんなに景気が良くて、狂ったようになっていても


人間はその感覚に慣れてしまう。



あるものは普通。


そこにあって普通。


ないと大騒ぎ。



そうだ、独立しますから辞めますって言ったときこう言われました。


「今は不景気だからいいけど

 景気がよくなったら大手がどんどん攻めて来るぞ。

 絶対に生き残れないぞ。」




全然意味がわからないんだけど

一生忘れない言葉だ。
posted by りんご at 14:54 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

敵が圧倒的に有利な場合は・・・

敵が圧倒的に有利な場合は、どうすればいいんだっけ?


仲間になる、紹介してもらい友達になる。


そんなのもありだ。


やろうと思ってたことを見事に先にやられてしまった場合


自分が一番の理解者になるのがいいのかもしれない。



なかなか3番目にやってきて偉そうな顔は出来ない。


塾教材では一番ですって顔をするのか?




見事なほど先にやられてしまった場合は


やっぱり「引用する」に限るか。


この微妙な差というものはなんだ?


みなが同時に別々の場所で独自に考えている。





いや、ひとつのことにこだわってはいけない。


未開拓の土地はいくらでもある。


すごい人がいたら友達になれるよう


自分を磨こう。




posted by りんご at 14:53 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

しばらくオフラインでいると

すごく更新されていて


ずっとオンラインでないといけないのか?って思ってしまう。


今日は朝からずっと掛算について考えていた。


(もちろん他の雑用をしながらです。)


掛け算って面白いですよね。



掛け算っていう考え方がすごいですよね。



では、また書きます。
posted by りんご at 13:49 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月08日

テレビをつけてビールを飲むなんて文化は消滅した

小学生はホントに吸収が早い。


それは彼がやる気だからなのかもしれない。


わからないがあのスピードに負けないように成長したい。


小学生と成長のスピードを競いたい。


そうだ、1年前彼が私の塾に入ってきたとき


パズルをはじめて間もない頃だった。


1週間ごとに成長していった。


あれから成長が止まったときがあったろうか?


今でもあの頃のスピードで走っている。


彼は一時期、停滞した。


しかし、今猛烈なスピードで私を追いかけてきている。


私ももっと加速したい。


なぜかはわからないが成長という部分で張り合っている。


毎日3時間一緒に勉強している。


彼はこれから家に帰ってももちろん勉強する。


私がのんきにテレビを見たりビールを飲んだり新聞を読んだりできるだろうか?


そういえばここ最近ずっと新聞はじっくり読んでいない。


1分で読む。


テレビも見ていない。



驚くべきことにビールを飲んでいない。


ビールを飲むとペースが乱れる。


もう、コーヒー、コーヒーだ。



アルコールを口にしなくていいなんて


いったい自分は今、どんな状態だ?




私からはもう、塾が終わって家に帰り


テレビをつけてビールを飲むなんて文化は消滅した。
posted by りんご at 21:59 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いつも疑問に思うこと

小学校低学年の教材ってどうしてあんなに面白くないのかって思う。


有名な先生が書いた(らしい)問題集でも


書店に並んでるからパラパラ見るんですが


何の工夫も感じられません。


学年が下がれば下がるほど常識にとらわれるみたいです。




(尊敬してやまない、あの偉大な先生のものでさえ・・・)




「小さい子はこれやっておけばいいでしょう」


というのがよくわかります。


1年生は学ぶことや勉強に興味があるから


そんなに工夫しなくても


興味をもつからでしょうか?




易しすぎて工夫できないんでしょうか?


そうかも知れませんし


自分が小学1年のころの記憶もうっすらとしていて覚えてません。



単純なものって教えるのが難しいのと同じで


テキスト作るのも難しいんでしょうね。




私はおもしろい「引き算」の教材を考え続けてますが


決定的なものがまだ浮かびません。


「引き算」ってホントに難しいです。


けれど絶対に考え出します。


もう、これはわかりきっていることです。


必ず「そんなやり方があったのか!なるほど!!!」っていうのを


考え出して世に出します。


それが私の仕事だと思ってます。


「ハイレベルなことは人に任せる」


これが私の基本です。


ひとがあたり前にできることを


面白くするのが私の仕事です。

posted by りんご at 21:00 | 塾とパズルと日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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