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2005年10月01日

本を買う

迷路のことを考えていると

自分の知識の浅さや狭さにうんざりするので

数学やパズルに関する本を買っては

面白いところだけを読む。


そして使えそうなところを抜き出し

何日かぼーっと考えていると

迷路という形になる。



今日は私の尊敬する数学者の本を

5冊買った。

今までは図書館で借りたりしていた。

図書館で借りていたのは1冊だ。

気に入っていたので何度も借りた。



借りるなんてけち臭いことはやめよう、

買おうと思って著書を調べたら

たくさん書いておられたので

5冊注文した。

1冊がそれぞれむちゃくちゃ高い。

これは事典だって思った。



そしてちょっと後悔していたら

今日届き、中身を見たらすごかった。

やっぱり本は買わないとダメですね。

買おうと思わなければ他4冊には

出会ってなかったかもしれない。



まあ、これくらいでいいかなって力を抜くと

それくらいの結果しか得られなくて

身銭を切って求めると

それ以上のものが手に入る。



結局、図書館の趣味は2流じゃないかって思った。

置いてある1冊よりも

置いてない4冊のほうが断然いい本だ。



何の本かは残念ですが言えません。



けれど人によって必要な本は違いますよね。

私は自分のやっている事の資料として買ってます。

ですから言う必要はないのです。

自分に必要な本を買うべきです。




パズル関係の本を50冊くらい買ったくらいから

ようやく自分の必要とするものがわかってきました。

ほとんどが無駄みたいなものでしたが

その繰り返しが自分の目を鍛えますね。




仕事に必要な本は

惜しまずに買います。



では。








posted by りんご at 22:05 | Comment(10) | 迷路とパズル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雑感

私はもうずっと、小学生に

ひろく学んでもらえるように

塾の方向を変えています。



「どんぐり倶楽部」の糸山泰造先生が

その教材の中で書かれています。(引用いたします。)


小学校の先生は、誰もが哲学者でなければなりません。
なぜならば子供たちは哲学を学びに学校へやってくるからです。
哲学というのは生き方の学問です。
生きるとは感動することであり、楽しむことです。
ですから子供たちは生き方を学ぶ学校で
感動し楽しむべきなのです。



(引用終わり)


毎日、小学生と接していると

なるほどなって思います。

私は自分は哲学者だとは思いませんが

>子供たちは哲学を学びに学校へやってくる

という部分が非常に新鮮な視点でしたね。



話は全く変わるんですが

最近、ブログを読むのを控えてます。

もちろん読んでますが入れ込まないようにし

のめりこまないようにしようと思ってます。

面白いんですがペースが乱れます。



自分のペースで考えて

更新してやっていきたいと考えています。

読んで書いて考えて塾をしてっていうと

非常にせわしく思います。



いろんなことを思いつくのに

形にするまで考えることができない。

今日も新しいビジョンを得ました。

これは私の塾の教材が進むべきひとつの道です。



もっともっと話が変わるんですが

最近、子供の視点について考えます。

子供の視点とは簡単に言うと

常識にとらわれない、

人の批判を考慮しない

ということだと思うんです。



算数の問題のまえで

死んだようになる子供を

嬉々として飛び上がり

踊りだすような子供にするために

やれる手段はいくらでもある。

ただ人の批判を恐れてしまうし、

常識的につい考えてしまう。




ブログやホームページを読んで

私は常識をすぐに学んでしまう。

人の行動を見ていると揺れてしまう。

私はそんなに強くない。



それに「どんぐり倶楽部」の糸山泰造先生の影響を

まともに受けると自分で考えない人間に

一時的になってしまいそうだ。



外部のすべての影響から距離をおいて

私は毎日哲学を学びにやってくる

子供達から一番影響を受ける人間であろう。



そんなことを今日は考えました。

posted by りんご at 18:01 | Comment(6) | 学習塾一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

物語

算数を物語で解くっていうのは


なかなか子供の奥深いところへ入っていけるような気がする。


彼らの興奮する姿を見ているとそう思う。


つまり私が見ているものより


より多くのものを彼らは見ている。


受験にかかずらわっていると


ついつい小さな物語を忘れてしまう。


受験という大きな(?)物語のために


小さな物語のほとんどが犠牲になっている。





もしかしたら自分が見ているものって


一面の荒地かもしれない。


人は荒地だと思って通り過ぎる。


とどまる価値のないところだと思い先を急ぐ。


確かに今いるところは荒地なんだけど


それは今まで誰も耕さなかっただけで


実は肥沃な土地に変わるんじゃないか?




太陽も雨もこんなにあふれているのに


耕して種をまく人が今までいなかった。


次から次へと生えてくる雑草を


我々は抜いていただけかもしれない。
posted by りんご at 00:09 | Comment(2) | 迷路とパズル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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